冬ざくら哲学教授の木戸に舞う 澤井 二堂
『この一句』
この句の風趣は「哲学教授」にあるのだろう。俳句には滅多に出てこない職業と言おうか、登場人物を持ち込んだ。東大工科教授であった山口青邨に「銀杏散るまっただ中に法科あり」の句があるが、これは人物ではなく東大の象徴を詠んだ。掲句は冬ざくらが哲学教授宅の庭の前、木戸門にはらはらと散っている情景を映像的に表現し、情緒豊かな句としている。
ここで読み手の微かな疑問は、この家が哲学教授の住居であることを作者はなぜ知っているのかということである。世間に知られた著名な哲学者であったのか、はたまた作者の恩師であるのか、ちょっと詮索したくなる気持ちが起こってくる。前者であれば当然のことだが、後者なら学生時代に何度か足を運んだことも想像できる。しかし70代後半という作者の年頃を考えれば大学の恩師はほぼみな彼岸の人である。存命だとしても白寿ほどになるであろう。
余計な詮索をし過ぎたようだが、この句の風趣を損なうものではない。哲学教授を偲ぶ一句として「冬ざくら」の季語が当を得ていると思うばかりだ。「木戸に舞う」と結んで、「木戸」を「門」にしなかったのが、懐古的になったのではなかろうか。
(葉 21.01.15.)
この記事へのコメント
酒呑洞
「梅が香やとなりは荻生惣右エ門」という其角作とされる句(実際はもう少し後の江戸座俳人の作とも)がありますが、両句にはほのぼのとした感じが流れています。