冬桜山道下る子らの声      加藤 明生

冬桜山道下る子らの声      加藤 明生

『合評会から』(日経俳句会)

光迷 「冬桜」で寂しいイメージだけど、それを見つけたよと子供の元気な声が聞こえてくる。
二堂 山道を下りて来る子供たちの足音、声、動きがあるよう。動的な句でいい。
昌魚 景がよく見えますね。そして子供の声も聞こえるようです。
芳之 鳥の目のような句です。山里に響く子どもの歓声が大人を元気にします。
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 この句の眼目は、評者全員が指摘しているように、冬桜に対比させた子供たちの声であろう。冬桜の句はその姿かたちや咲いている場所・状況を詠むものが多い。そうした視覚の句に対し、掲句は聴覚を持ち込んで冬桜の印象を強めている。
学校の裏山か、あるいは子供たちの遊び場の里山か、冬枯れの山道に冬桜が咲いている。そこを駆け下ってくる子供たち。冬の寒さに負けない元気な声が聞こえる。冬桜は、木々が葉を落とし山が眠りにつく季節に、灯りをともすかのように花をつける。健気に咲く冬桜の姿と、元気な子供たちの声がまさに響き合う句だ。
作者は昨年、病を得て「九死に一生」の思いをされたと聞く。闘病から復帰後に詠まれた句だと知れば、冬桜と子供らの声に重ねる作者の生への喜びが、心に沁みてくる。
(迷 21.01.12.)

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