ちんまりと猫も正座の淑気かな  大澤 水牛

ちんまりと猫も正座の淑気かな  大澤 水牛

『この一句』

 実に楽しい、笑いを誘われる、心の温もる一句である。「ちんまりと」という描写に、何がかと覗けば「猫も正座」と来た。この意外なものに「それがどうした」と目を遣ると「淑気」という襟を正させる言葉が登場した。柔らかな「ちんまり」と硬い「淑気」という単語の組み合わせと俳味溢れる展開には「参った」と兜を脱ぐほかない。
 この一句には、なごやかな雰囲気となだらかな口調に引き込まれる。その要因は多分、「猫も正座の淑気」の「の」の働きにあるように思う。この「の」を「や」として下五を「淑気満つ」などとすることも可能だが、そうすると「正座」と「淑気」が対峙してしまう。かといって「に」にすれば説明的過ぎる。やはり「の」が絶妙なのだ。
猫が「淑気」を帯びている、あるいは発しているというのだから、とにかく目出度い。
ところで、犬は従順で人になつくが猫は我儘で人になつかない、とよく言われる。本当だろうか。この猫が雄か雌かも気に懸かる。あと一カ月ほどで立春、猫の恋の季節である。乙に澄ましていた猫も、追い・追われの渦中に飛び込むのだろう。
(光 21.1.2.)

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