眠る山五百羅漢をふところに   田中 白山

眠る山五百羅漢をふところに   田中 白山

『この一句』

 まず、冬晴れの下の静かな山の姿が瞼に浮かんだ。稜線を下ってズームインして行くと、森の中から五百羅漢が姿を現した。寺領である。それにしても「五百羅漢をふところに」というのは、いい措辞であり、いい取り合わせである。「ふところ」というひらがな表記もいい。「懐」という漢字よりは柔らかく、ふくらみもあるから。
 「山眠る」という季語は、北宋の画家、郭煕の「冬山惨淡として眠るが如し」から生まれたもの。その前に「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠として滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く」という一節がある。四季それぞれの山の姿を「笑う」「粧う」などと表現する捉え方に、自然と人間の共生に通じるものが感じられる。
ところで、句の作者はどこにいるのか。五百羅漢に会えるのは、東京都内ならば目黒の羅漢寺、近郊となれば川越の喜多院や小田原の玉宝寺などである。京都には伊藤若冲の下絵を元にした石像があると聞くが…。小春日和に、怒ったり笑ったり、立ち、座り、また寝転んだりという様々な表情、仕草の羅漢を想像すると、心が温かくなる。
(光 20.12.21.)

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