南瓜煮る阿房列車の過ぎてゆく 星川 水兎
『この一句』
俳句を鑑賞するなかで取り合わせの妙というのものがある。へぇー、この季語にこれを小道具に持ってきたかという驚き。うまくはまれば二つの物がぶつかり合い(二物衝撃)、1+1がそれ以上の効果を生むといわれる。
逆にひとつの対象物を詠むのが「一物仕立て」。ある一点に絞ってそのぐるりを表現すれば、焦点がはっきりしているだけに明快な句になる。二物衝撃はと言えば、はまらなければただの難解句となってしまいそう。それでも、なかには空想を刺激し読者を夢幻の世界へいざなうこともある。
上掲の句。南瓜を煮ている作者にとって「阿房列車の過ぎてゆく」とはどういうことなのか。作者に聞いてしまえば、南瓜を煮ながら内田百閒の『阿房列車』を読み進めていただけという。しかしそれを知らぬ読者は「南瓜」と「阿房列車」の関係を知りたくなり、句に吸引力が生まれる。筆者は好奇心にかられてこの句を採った。
同じ句会に「始祖鳥の夢切れ切れに夜寒かな」という句もあった。これについては当欄の11月15日付けで論じられているが、採った人の弁は「ちんぷんかんぷんだが、夜寒に始祖鳥がなんとなく合っていて面白い」というものだった。二物衝撃、難しいようで易しく、易しいようで難しい。
(葉 20.12.18.)
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酒呑洞