泥水に数多の命池普請 水口 弥生
『合評会から』(日経俳句会)
青水 池というと鯉とか亀とか使いたがるが、作者はもろもろの命という言葉でまとめた。これは良い選択だ。
朗 自宅の近くで宅地化で池を埋めていったとき、酸欠で鯉が口をパクパクしていたのを思い出した。
博明 水清きところに魚住まぬ、とは本当なんですね。
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今や日本第二の都市として、380万人もがひしめきビルや住宅だらけのヨコハマだが、昭和30年初頭あたりは横浜駅から歩いて行ける所に畑や田圃が広がり、あちこちに小川や灌漑用の池があった。秋もふけると川浚い、池浚いが行われ、子どもたちはそれを「掻い掘り」と言って、大はしゃぎしながら手伝い、鯉や鮒、鰻、鯰、泥鰌、亀、エビガニ、モクゾウガニなどを採った。
池にはそうしためぼしい魚だけではなく水生昆虫もたくさんいる。アメンボやミズスマシ、実際には何の悪さもしないが見るからに恐ろしげな形のタガメなどもいた。タニシや小さな巻貝もいた。近くの土手や木の上にはいつのまにか白鷺やアオサギが来ており、カイボリが一段落して大人も子供も丘に上がると、すわと降り立ち隠れた獲物を漁る。こうして子どもたちは生きとし生けるものの生態を目の当たりにして、自然界の動きを理解するのだった。
(水 20.12.07.)
この記事へのコメント
鈴木雀九
ここは年の瀬に池干し・水抜きが行われ、鯉などが売られる。年明けに見に行ったところ、水は抜かれて一部池のように残りゴム着の男が数人腰まで浸かって何かしていた。土手の高いところから妻が「何をしているのですか」と聞けば「掃除をしているのです(ここは京都弁)」と答える。俳聖の、ではなく芭蕉翁とすればよかったかと未練限りなし。