老い二人空気となりて秋深し    高井 百子

老い二人空気となりて秋深し    高井 百子

『季のことば』

 「秋深し」という季語はそれだけでもうしんみりとしてしまうフレーズだから、却って句にしにくいところがある。「秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉」を筆頭に「彼一語我一語秋深みかも 虚子」「秋深しふき井に動く星の数 露伴」など良い句もあるのだが、歳時記に列挙されている大家の「秋深し」句に感銘を受けるものが意外に少ない。どうも季語に負けてしまっているようなのだ。
 この句は「もうお互い空気のような存在ですよ」という、老夫婦の暮らしぶりを表す言葉として、しばしば耳にする文句をそのまま用いている。だから、「御座なり」という酷評を下す人も居るかも知れない。もしかしたら類句があるかも知れない。
 しかし私は選句表にこの句を見つけた時、「いいなあ、秋深しと響き合っているなあ」としみじみ感じ入った。「老い二人空気となりて」と、すっと言われると、清清しく暮らしている老夫婦だけの静かな景色が浮かび上がって来る。冷えまさる午後に、熱くて香りの良い焙じ茶を啜っている情景を思い浮かべてもいい。お互いあまり喋ることも無いのだが、言葉など交わさなくても全然問題は無い。
(水 20.11.08.)

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