露光る解体を待つ木馬たち    岡田 鷹洋

露光る解体を待つ木馬たち    岡田 鷹洋

『この一句』

 一読し「木馬が解体される? どこの? どうして?」と考えた人がいたかもしれない。これは、今年の九月ならではの俳句、つまり時事句なのだ。この句を採った人は「一世紀の歴史に幕を閉じた『としまえん』でしょうか。露は子供たちの涙かなあ」(てる夫)、「先日閉園した遊園地のエルドラドのことでしょうか。惜別の気持ちを込めて」(ゆり)、「豊島園がまず浮かんできました。解体と露に、はかなさを感じます」(道子)というように、舞台も解釈もおおむね一致していた。
 豊島園の回転木馬は、機械仕掛けの芸術的な乗り物として「機械遺産」に認定された、世界的にも貴重なもの。1907年にドイツで誕生し、第一次世界大戦を避ける狙いから1911年に米国に渡って半世紀以上活躍、1969年に来日し、71年から50年近く豊島園で子供たちを喜ばせ続けてきた。
 「エルドラドの将来は未定」とされるが、美しく彩られた24体の木馬が子供たちを乗せ、元気よく走っている光景をまた見たい。そこには笑顔と歓声が渦巻いているはずだ。
(光 20.09.18.)

この記事へのコメント

  • 雀九

    豊島園は小学生の頃母に連れられ3回は行ったと思う。目ざすはウォーターシュートだ。ビル4階ほどの高さからお客を乗せた船がレールを池に向かって滑走する。5秒間くらいだ。レール上の斜めになった船の先端は水平になっていて白ズボンのおじさんが立っていた。おじさんは池に突っ込んだ瞬間ジャンプしお客は水しぶきに濡れる。閉園豊島園のカルーセルに乗った記憶はなく、変だなと思っていたら1971年からだという。私は社会に出ていた。
    2020年09月19日 08:04
  • 酒呑洞

    ほんとに古き良き時代の、ふんわりした感じの良い遊園地でした。ディズニーランドは大嫌いですが、豊島園はいい。しかし、今どきこういうタイプの遊園地では客が呼べないようです。私が初めて豊島園に連れて行ってもらったのは昭和16年夏の4才の時、大東亜戦争が始まる前で、まだのんびりムードが漂っていたようです。その後間もなく休園になったようですが。
     社会部記者になった1961年以降は春休み、夏休みの写真モノの取材でカメラマンと時折行きました。最近は太田道灌の故事を取材・研究の目的地の一つとして数回訪れました。あそこは道灌が攻め落とした練馬城のあった所で今でも瓦や板碑、もろもろの什器などが出てきます。豊島園はこれから穿り返すそうですから、また何か出て来るかも知れません。
    2020年09月19日 17:08