ステテコの中途半端を愛しけり  玉田春陽子

ステテコの中途半端を愛しけり  玉田春陽子

『この一句』

 「ステテコ」と「中途半端」。これまで俳句ではあまりお目にかかったことのない言葉に目が止まった。「ステテコ」は夏の季語である。変な言葉なので語源を調べてみた。諸説あるようだが、明治時代の落語家三遊亭円遊が始めた「ステテコ踊り」なるものが有力なようだ。夏目漱石は、『三四郎』の有名な「小さんは天才である」という文言の後に、「円遊もうまい」として「太鼓持」を演じる円遊を登場させ褒めている。また、『我輩は猫である』にも、「ステテコを踊り出す」という文言がある。漱石と子規が寄席通いの趣味で仲良くなったことは知られており、「ステテコ」なる奇妙な言葉はどうも近代俳句の黎明期に淵源する、というのはこじつけ過ぎか。
 一方の「中途半端」。下着のようで下着でない、外着のようで外着でない、それを指すのだろうと目星をつけたが、作者の愛するステテコが、近頃流行りのカラフルなものか、植木等のコントに腹巻とセットで使われた白いステテコか、どちらなのかわからなかった。作者によればカラフルなステテコで、近所のゴミ集積所まではそのまま行くが、それより遠い場所に行くのは気がひけるとのこと。
 実証主義の筆者は改めて店頭で今時のステテコを見てきた。外観は少し長めの短パン。広重の五十三次柄やトロピカル柄などもある。言われなきゃステテコとは気がつかない。春陽子さん、図書館に行くのも飲み屋に行くのもまったく問題ありませんよ!
(可 20.08.31.)

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