ハドソンの鰻も供しチャイナタウン 河村有弘
『おかめはちもく』
「ハドソン河の鰻とはね、それもチャイナタウンで。面白い」(而云)、「意外性あり、多様なニューヨークの暑い夏の実感も伝わってくる」(進)──若き頃柔道部の猛者として鳴らした人たちによるユニークな三四郎句会で好評を博した一句。この作者は半世紀も前、ニューヨーク特派員として活躍、勇名を轟かせた。何でもあるニューヨークだが蒲焼だけは無理だろうと思っていたら、チャイナタウンにはあった。「鰻」の兼題に当時の思い出を甦らせた。しかし、 ハドソン鰻は太くて大味だったという。
どの国の大都会にも必ずあるチャイナタウン。そしてそこの住人たちはもう中国語を話せない三世、四世が多いが、「食」に関する限り、先祖伝来の習慣を持ち続けている。何でも食材にしてしまうのもその一つだ。ハドソン鰻を料理するなどお茶の子さいさいである。但し蒲焼だけは別だ。確かに大味だろう。
この句意表をついて面白いのだが、「供し」という畏まった措辞が句の趣を壊している。鰻とあってチャイナタウンとあれば、料理屋であることは自明で、わざわざ「供し」と言うまでもなかろう。作者自身が述懐しているように、ハドソン鰻の「太く」「大味」なことを述べた方が良さそうだ。
(添削例)ハドソンの鰻大味チャイナタウン
(水 20.08.17.)
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鈴木 雀九
鈴木雀九