酒蔵の深井戸浚ふ上総かな 徳永 木葉
『この一句』
句会の兼題に「晒(さらし)井(い)」(井戸替(かえ)、井戸浚(さらえ))が出てきた時、「古いね」と呟いた。井戸の底にたまった木の葉やゴミなどを浚い、水をきれいにすることである。東京区内でも第二次大戦の前後の頃は、ほとんどの家庭が井戸を頼りの生活だったから、馴染のある作業だった。しかしいま、その実態を知る人がどれだけいるのだろうか。
私の幼い頃、大雨などで生活水が濁れば“井戸屋さん”に来てもらい、水をきれいにしていた。しかし近所の地主とか資産家の井戸替となると、一般家庭とは比較にならぬスケールである。井戸屋のほか、元気のいい人たちが集まり、男の意気の見せどころとなる。近所の子供たちは飴玉などを貰い、お祭りに行った時のように喜々としていた。
しかしいま、日本の水道普及率は98%以上。井戸替などあるとは思えないのだが・・・。掲句を見て「なるほど」と納得した。「酒蔵」であり「上総の深井戸」なのだ。いかにも晒井の雰囲気である。とは言え夏井いつきさんの著書名を借りれば「晒井」の「絶滅寸前」状態は変わらない。出題者は失われゆく季語を惜しんだのだ、と私は思っている。
(恂 20.07.26.)
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