明易や明けきる前の街若し 中嶋 阿猿
『この一句』
なんといっても下五の「街若し」が読むものの気持ちをぐっとつかまえにくる。この句にはふたつの読み方が成り立ちそうである。一つは夜明け前のこれから街が動き始めるという清新なイメージ。もう一つは、前夜からの延長で未明に至るというイメージ。「石段をだだっと駆け下りて来る新聞配達」をイメージした水牛氏は前者、「やさぐれて、未明の歓楽街を彷徨」した頃を思い出した、双歩氏は後者の解釈である。朝の清新なイメージと解釈するのが普通で順当なのだろうが、「明けきる前の」という措辞が、後者で解釈する余地を与えてくれている気がして捨てきれない。
もう何十年も前の話だが、ウィリアム・アイリッシュの書いた『幻の女』というミステリーを読んだ。女房と喧嘩をして街で見知らぬ女性と酒を飲み、家に戻ると女房が殺されていた。アリバイを証してくれるはずの街で出会った女が見つからない、すなわち「幻の女」という話である。この小説、「夜は若く、彼も若かった」という書き出しで始まる。当時、この書き出しは名フレーズとして、ファンの間でずいぶんもてはやされ語り草になった。このフレーズが頭の片隅にあったせいか、筆者も無頼の果ての未明という気分で読んだ。そう読んでみると、若いのは街ばかりではなく、作者も若い、あるいは若かったあの頃と読めてくる。久しぶりにミステリーを読んでみようかという気にさせられた。
(可 20.07.03.)
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迷哲
阿猿