祖父震災父応召二度我コロナ   鈴木 雀九

祖父震災父応召二度我コロナ   鈴木 雀九

『季のことば』

 十七音を二つオーバーしており、季語もないじゃないかと言う向きがあるかもしれない。この破調めいた句は、父子三代の“灰色の歴史”を詠んでいて破綻がないと思う。五月のメール句会で採らなかったのを、ちょっぴり後悔している。
そうなのだ、おじいさんは関東大震災に遭い、お父さんは二度も兵隊に引っ張られ、そして医師である作者はいま新型コロナに立ち向かわざるを得ない立場にある。作者はもちろんコロナに罹ってはいないが、父子三代よくよくついていない人生だなとボヤキが聞こえてくる。お祖父さん、お父さんが最悪事態を逃れたのかどうか聞いていないが、俳句にするくらいだから多分大丈夫だったと思いたい。
 この秋冬にまた二波、三波が来るとの警鐘がもっぱらである。あるいは人類が今後長きにわたってこのウイルスとの共存が避けられないのなら、「コロナ」は「流感」同様、季語になるのだろうか。秋冬の流行を詠むならコロナは「季のことば」と取られず、別の季語を添えなければならない。いずれにせよ、現下のコロナ禍は俳句にも大きな画期となるのは間違いない。
(葉 20.06.12.)

この記事へのコメント

  • 鈴木 雀九

    祖父は近衛の兵隊、関東大震災で自宅壊滅、父は日本の男として石巻連隊から北支派遣軍、2回目は朝鮮木浦から仙崎港へ復員、東京は一望千里の焼け野原。父の20代は日華事変、ヒットラーのポーランド侵攻、太平洋戦争に一致する。それに比べ私には何かが欠損しているとずっと思ってきました。その欠損をコロナがぴったり充足する。
    木葉さんにそれを見抜かれましたが、コロナを季語で良いかな、字余は仕方ないと勝手に思いました。すみません。
    2020年06月13日 05:57