夕厨浅蜊汐吹く気配あり 中村 迷哲
『この一句』
六、七十年ほど前の記憶が蘇って来る。敗戦後ほどなくの頃。今では「新都心」などと呼ばれ、ビル群の林立する千葉・幕張あたりの海岸は、潮干狩りに絶好の砂浜だった。父母や先生など保護者に連れられて潮干狩りに行くと、バケツに溢れるほどの浅蜊や蛤が取れたものだ。
家に持ち帰って洗面器に開け、塩水を入れて、台所に置き、じっと待つ。一時間ほどだろうか。洗面器の中で落ち着いた貝たちが動き出し、微かな音がする。続いてピュピュと汐を吹く(水を吹く)音が聞こえてくるのだ。「おっ、吹き出したぞ」と四つん這いでそっと近づくと、洗面器の外まで汐を吹き出す元気な奴もいる。
いま、スーパーや魚屋で売っている貝類は砂を完全に吐かせてあるので、そのまま味噌汁などに使える。一方、あの頃は、汐をよく吐かせないと「砂を噛む思い」にさせられる。句の「厨」の字が、あの頃の台所を思い出させてくれた。板張りの薄暗い台所は今思うと意外に広く、ガス台の釜が吹き出すと、木製の厚い蓋が、何度も持ち上げられていた。今のキッチンは、明るく、しかし狭く、床に洗面器を置くような余地はないだろう。
(恂 20.05.14.)
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