干からびし記憶の底の蓬餅    堤 てる夫

干からびし記憶の底の蓬餅    堤 てる夫

『この一句』

 月例句会には「兼題」が出ており、同じ季語の句を次から次へと読むことになる。この番町喜楽会四月句会(コロナウイルス禍でメール句会)の兼題の一つは「草餅」。二十人から三十三句が寄せられた。筆者の場合、同じ季語の並ぶ投句一覧表を一読、再読し、直感を頼りに選句することが多い。それだから秀句佳句をしばしば見逃してしまう。句友の評を見たり聞いたりして、なるほどそういう意味か、そういう背景かと、その句をあらためて吟味することになる。
 まさに掲句がそうである。「草餅には何かしら古い記憶とつながるイメージがあって、この句はそれをうまく詠んでいる」(満智)との評を読んで思い当たった。この「干からびし」は、単純に読めば古い記憶の底にある蓬餅は、干からびていた蓬餅だったという意味だろう。しかし満智氏の評によると、草餅には何か違う記憶が重なっているとみている。これが正統的な解釈といえそうだ。
 筆者は満智氏の解釈にもう一つ付け加えたい気がする。「干からびし」は、作者自身の幼年記憶が近頃薄らいできたというのではないかと。一票を入れるべき句だったが、同じ季語が並ぶ投句一覧表には“採りこぼれる句”が少なくない。
(葉 20.04.23.)

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