蟄居する都の空や花万朶     廣田 可升

蟄居する都の空や花万朶     廣田 可升

『合評会から』(番町喜楽会・四月メール句会)

青水 今年詠まれたコロナ禍時事句の最高峰でしょう。そんな完成度です。「蟄居」「都の空」、決め手は「花万朶」お手本のようで八つ当たりしたくなる。
水馬 コロナで蟄居せざるを得ないが、桜は今が見ごろ。切ない気持ちを綺麗に詠んだ。
          *       *       *
 俳句をたしなむ世の人たちの多くは、いまコロナウイルス禍による自宅閑居を余儀なくされている。これから新聞や俳句誌の俳壇には、ウイルス禍を詠んだ佳句秀句が次々登場してくるはずである。三・一一大震災の時、東北の惨状と人情の暖かさを詠んだ秀句に毎日のように心を動かされたものだ。
 科あれば蟄居閉門を仰せつかる江戸武家社会ではないが、現下の状況では引きこもりも致しかたない。都内マンション住まいの作者の気分をひとしなみ共感できる。無聊をかこちつつベランダから空を見上げれば、花見日和。花は今盛りと万朶の枝を誇っているが、花の下に出て愛でることは叶わない。その心情を「蟄居」と「花万朶」の対比で詠み込んだ当節句だ。
(葉 20.04.15..)

この記事へのコメント

  • 谷川水馬

    やはり上五中七と下五を切っている“や”の切字の働きが凄く効いている句だと思っていただきました。蟄居せざるを得ない作者と咲き誇る桜との間にある“間(宇宙)”の巨大な隔たりが、この句を大きなものにしていると思います。作れそうで作れない。
    2020年04月15日 08:35
  • 酒呑洞

    水馬さんの仰有るとおりですね。私は最初この句は「通り一遍」と軽く見過ごしてしまいました。しかし、じっと見つめていると、いいなと思えてきます。蟄居する都会の住まいからの眺めはさしたるものでは無いのでしょうが、桜の季節ともなれば違います。それなのに出て行けないんですからね。万朶の桜がおいでおいでをしているんですね。
    2020年04月17日 00:08
  • 水牛

    この句はブログ管理者の手違いにより、掲載時(20.04.15.)に原句「蟄居する都の空や花万朶」の「都」を「都会」と誤記し発表してしまいました。作者からのご指摘により気が付きました。急ぎ「都」に訂正させていただきます。作者にはもとより、愛読者の皆様にも真に申し訳ないことをしました。謹んでお詫び申し上げます。4月18日 
    双牛舎ブログ「みんなの俳句」管理者大澤水牛
    2020年04月18日 14:22