このままの往生ねがふ日永かな 金田 青水
『この一句』
二十年ほど前、「死の瞬間」という本に出会った。米シカゴの病院で末期患者を診てきた女医、E・キューブラ―・ロスが患者との対話など臨床体験を記録、分析した著作である。そこでは患者の死の過程にはさまざまな姿勢があり、「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」の五段階があると言う。
正岡子規の病床随筆を重ねてみると、うなずけることが多い。結核カリエスで仰向けに寝るしかない床で綴った「仰臥漫録」や「病牀六尺」の記述には、苦痛に苛まれての怒りや呻吟、絶叫、号泣がある。家人の介助のもとで筆を持ち、辞世の三句を書いた。
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をととひのへちまの水も取らざりき」──その日のうちに昏睡状態となり、翌明治三十五年九月十九日午前一時、永眠。子規にとって生きることは書くことであり、最期まで筆を放さなかった。鉄人の死だと思う。
ひるがえって掲句。温かく気持もゆったり、伸びやかな春の日。このような平安の中で永遠の眠りにつきたいと、ごく普通の高齢者が持つであろう思いを「日永」の季語に込め、素直に詠んでいる。
(て 20.03.24.)
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