蛤の舌だし泳ぐ太平洋 野田 冷峰
『季のことば』
蛤は春の季語。特に雛の節句の御馳走には蛤の吸物が欠かせない。これは蛤の貝殻の模様と真っ白な内側との対比が美しく印象的なこと、さらには貝殻の内側に金蒔絵を施し和歌を記した「貝合せ」という女子の遊び道具になったことなどが元になっている。また、その貝殻は他の貝殻とは決して合わないので、「二夫にまみえず」という封建時代の女子教育観にも添うものでもあった。
句会では「ウソつけ、と思わず言ってしまいそうなほど巧みな句だ。極めつけは下五の太平洋」(青水)という評があった。確かにこの句の面白さは、蛤が潮干狩の手を逃れて「あかんべー」と舌を出しながら悠然と太平洋を泳ぐという「見てきたようなウソ」をしゃあしゃあと詠んだところだろう。古代中国人は海上に城や巨船が浮かぶ現象を「蜃気楼」と名付けた。「蜃」という途轍もなく巨大な蛤が吐き出す「気」というわけだ。この句の蛤もその仲間かも知れない。
蛤は浅蜊や汐吹貝などよりかなり深い所に居る。そして海水温が急変したり、汚れたりするとさっさと移動する。「一夜に三里走る」とも言われる。あの大きな舌(足)を使って、海水を吸っては吐き出しながら好きな場所を探すのだろう。
(水 20.03.20.)
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