春の日の首筋過ぐる梳き鋏 塩田 命水
『この一句』
「春の日」には、「春の日和」と「春の陽射し」という両方の意味がある。一読した時には後者の陽射しを想起し、屋外での散髪かなと思った。だが、子供ならいざ知らず明らかに詠み手は大人であり、理容室か美容院で散髪してもらっているのだろう。そうすると「春の日」は陽射しではなく、室内で感じる外の日和を意味するのだろうと合点した。もっとも、仲の良い夫婦が庭で髪を切りあっていると想像してみると、それはそれで微笑ましい光景である。
この句が詠んでいるものは、梳き鋏が首筋に触れるときのあの冷やっとした感触である。しかもそれは、冬場の寒さの中とは異なり、春めいた陽気の中で感じる、少しくすぐったいような感触にちがいない。作者の感覚の繊細さをよく感じさせる句だ。
一方、下五の「梳き鋏」は、三文字の「鋏」を五文字に整えるための工夫だろうくらいにしか考えなかった。ところが水牛氏の評に、普通の鋏はチョキチョキ、梳き鋏はシャキシャキ、この梳き鋏の音の軽快さが良いのだ、とあった。そうか梳き鋏の音か、と読みの深さに感心してしまった。そう思って改めて読むと、いっそう「春の日」に相応しい味わいのある句になった。
(可 20.03.18.)
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