土手の道人影伸びる日永かな   高石 昌魚

土手の道人影伸びる日永かな   高石 昌魚

『この一句』

 自分の影を含めて、よく伸びた人の影を、最もはっきりと確認できる場所は河川の土手の上ではないだろうか。周囲にはおおよそ高い建物がない。道は当然平坦で歩きやすい。歩いている人の数も通常の道路より少なく、何より安全で、障害物などに気を配る必要も少ない。自分の影によって自分の歩きぶりを確かめるにも絶好である。
 作者は夕方の散歩に出たのだろう。町中を過ぎれば、その先に大きな河の堤が控えている。階段を上り、土手の上に出る。街も河も左右の眼下にあり、西空には夕陽が傾きかけていた。さて、これからが晴れ日の日課ともいうべきウォーキング。一キロ先の目印まで行って引き返す。往復三十分が目安である。
 往路の時は気づかなかったが、折り返すと西日を背に受けて、自分の影が前方にぐんと伸びていた。帰りの一㌔は影が先導してくれるのだ・・・。句会の後、会場を出て交差点まで、作者といっしょに百㍍ほどを歩いた。すでに九十歳を超えておられるはずだが、足取りに不安は全く感じられなかった。人生も日永の時代である。
(恂 20.03.17.)

この記事へのコメント

  • 雀九

    兼題「日永かな」の句会にこの句があったか思い出せなかったので、当日の選句表を取り出してみますと1票入っています。それがすなわち(恂)さんということになります。改めてみますと、この句はなんとも言えず味のある句で、気を引くような単語、表現はないにもかかわらず繰り返して読むと情景と、大先輩に失礼とは思いますが、なにがしかの充足感、安定感が伝わってきます。私には夕日が斜め半身に当たり、影が土手斜面に伸びているように見えます。
    2020年03月18日 22:35