マッチ擦る仕草の記憶春のカフェ 中沢 豆乳

マッチ擦る仕草の記憶春のカフェ 中沢 豆乳

『この一句』

 一読して「仕草の記憶」という中七にしびれた。若い頃は煙草を飲んでいたので、片手でマッチを擦る練習をしたり、マッチの火を煙草に移す俳優の仕草を真似たりした。掲句はカフェに来て、マッチで煙草を飲んでいた昔を回想し、その時の仕草を思い返している人物と読んだ。これに対し句会では「昔は喫茶店はあったが、カフェは酒を飲ませる所だった」とか、「フランス映画のワンシーンを詠んだのではないか」、「季語が動く」などいろんな解釈・意見が出た。
 経済成長で台所からマッチ箱が消え、さらに愛煙家に安いライターが普及して、マッチを擦る仕草は身の回りで見られなくなった。今の子供たちはマッチを渡されても、使い方が分からないという。マッチの仕草は、古い映画の喫煙シーンか老人の記憶にしか残っていないのかも知れない。
 作者によると、春先にカフェのテラス席で煙草を飲んだ時に、マッチを持っていた友人の仕草から学生時代を思い出したという。春は「さまざまなこと思い出す」季節でもある。記憶を呼び覚ますのは、麗らかな春のカフェが似合いそうだ。
(迷 20.03.11.)

この記事へのコメント

  • 水馬

    喉の病気を患い煙草をやめて1年とちょっと。半年くらいまでは夢で手にしていた煙草を布団に落として慌てて探すといった夢を見た。さすがに1年過ぎるとそのような夢は見ないが、マッチで煙草をつけた時のリンの匂いがないまぜの紫煙の味を今でもしっかりと思い出せる。春のカフェがなんとも良いですネ。
    水馬
    2020年03月12日 11:58