かたまつてゐねばさみしき菫花  玉田春陽子

かたまつてゐねばさみしき菫花  玉田春陽子

『この一句』

 作者の名前を知って意外な気がした。かつて誰かが、作者を「小道具の春陽子」と名付けたことがある。季語と取合わせるのに、意外なモノを小道具として持ってきて読者をはっとさせる。その意匠の巧みさに何度も感心させられた経験がある。それに対して、この句は一物仕立ての句である。季語の「菫花」が唯一のモノであり、それ以外にモノは登場しない。また、取合わせの句が多くの場合、モノだけに語らせて感情表現を排除するのに対し、この句には「さみしき」と感情表現が入っている。いずれも、この作者に似つかわしくない表現のような気がした。
 「かたまつてゐねばさみし」とは、可憐で楚々とした菫の花を上手く表現したものである。小道具ではないが、この措辞を見つけてくる作者の着眼の良さに感心させられる。さらに、この句の裏には「人もまたそうじゃないか」という作者の心情が隠されているように思えた。そう思ってもう一度この句を口にしてみると、響きも良く、なかなか味わい深い句である。思わず「上手いなあ」と呟いてしまう。二物であれ、一物であれ、この人にはかなわない。
(可 20.03.10.)

この記事へのコメント

  • 酒呑洞

    この句は実にいいし、コメントがまたいいですねえ。「人もまたそうじゃないか、という作者の心情が隠されているように思えた」とは、確かにそうだなあと思いました。小さな菫に仮託して自分の思いを詠む、万葉以来の「寄物陳思」でしょうか。
    2020年03月10日 22:03