鳥来るを待つ千両のつぶらかな  水口 弥生

鳥来るを待つ千両のつぶらかな  水口 弥生

『この一句』

 冬季に熟す赤い実が珍重される千両、常緑の小低木である。花が絶え色彩を失った庭園のアクセントに、正月飾りの花瓶に欠かせない役者として珍重される。
 この句の際立つ措辞は「鳥来るを待つ」であろう。庭師は鳥が来て千両に群がるのを嫌う。「実千両」を食べつくすからだ。その鳥を待つと置いた作者の意図を考えた。もちろん赤い実を鳥に食べさせたい気持ちなどあるはずがない、と思う。しかし、待てよ、心優しい作者のことだから、もしかしたら食べ尽くされてもいいや、という気分なのかも知れない。どちらか確定はできないが、とにかくこの実を早く鳥たちにも見せてやりたい、「みせたがり」の気持を込めたものにちがいない。
千両になり代わって「鳥を待つ」と言い放ったことにより、「実千両」を強調する効果を発揮した。「つぶら」という柔らかな表現で円い実を飾ってもいる。五七五の十七音、一気に読ませるリズム感も心地良い。地味で静かな詠み方だが、いかにも新年句会にふさわしい一句だった。
(て 20.01.24.)

この記事へのコメント

  • 谷川水馬

    全く同感です。句会では選句させていただきましたが、選句の理由を旨く纏めていただいた気がします。 水馬
    2020年01月25日 10:14
  • 酒呑洞

    そう、「千両のつぶらかな」という詠み方、「つぶらかな」というのはどうなのかな、文法的に問題は無いのかななんて思いましたが、問題があろうとこの詠み方はいいなと、私も採りました。コメンテーターの(て)さんに楯突くようですけど、千両としては小鳥に食べられることこそ本望なんじゃないでしょうか。小鳥に食べられて、その胃腸で消化されずに残ったタネが糞として各所にばらまかれ、芽を生やして子孫を増やすわけですから。それで色彩の失せた冬の庭で真っ赤につぶらな実を着けて「鳥を待つ」のでしょう。
    2020年01月26日 22:13
  • 水口弥生

    この句を選んでくださった方々、有難うございます。
    実家の千両は実をつけるとすぐに鳥の餌となり、いつも丸坊主でした。この句のベースは、「千両が赤いのは鳥のためなんだよ」と言っていた祖母へのオマージュです。
    有難うございました。 弥生
    2020年02月03日 10:11