一匹の逝きて二人の年の暮    廣田 可升

一匹の逝きて二人の年の暮    廣田 可升

『合評会から』(日経俳句会合同句会)

弥生 「一匹」と「二人」の対比が効いています。大切な一匹が死んだ情感がよく出ています。
十三妹 我が家も猫三匹が一匹ずつ死んでいって、最後の一匹が死ぬと、夫婦のかすがいが無くなったようで家が寒々としてきました。
水馬 私のところは半年くらい看病したハスキーが死んだ。ものすごい存在だったのでまさにこの感じです。
てる夫 年の暮れにこんな状態になると本当に寂しいんだろうなと。たまらずにペットショップに出かけるのだろうかなどと想像していただいた。
静舟 老後、家族同様の愛犬愛猫の喪失感がしみじみ。
       *       *       *
 作者によると飼猫が二十二年と七カ月で死んでしまったのだという。人間なら優に百歳超えの大長寿。晩年はしょっちゅう医者通いで、最後までやり切った感じだそうだが、家族同然の存在だったから哀しみはかなりのもののようだ。近ごろはペットも長生きするから、こうした光景がそこかしこに生じる。
(水 20.01.09.)

この記事へのコメント

  • 可升

    とりあげていただき有難うございます。良い供養になります。
    2020年01月11日 09:25
  • 酒呑洞

    我が家の半ノラのキタコは満15歳、それが連れて来て、ちゃっかり上がり込んで家猫に納まったチビは14歳。キタコは不妊手術を施すためにワナの檻を仕掛けて捕まえた時の恐怖心がまだどこかに残っているようで、未だ私を2割方疑っていますが、ミャアと寄って来ては1mくらい距離を置いています。同じように捕まえて獣医に連れてったチビはそんなことすっかり忘れて日がな一日私の足元の足温カーペットに丸まっています。14,5年もそうやって暮らしていると、やっぱり家族になってしまいます。
    2020年01月11日 20:20