立冬や青菜の畝の薄明かり    須藤 光迷

立冬や青菜の畝の薄明かり    須藤 光迷

『この一句』

 合評会では古めかしい俳句だとの声が出た。なるほど「青菜」「畝」「薄明かり」に新しさはなく、江戸期の俳句以来さんざん詠まれてきた句材だろう。それだから現代俳句では新しい言葉を使って、新奇性を出そうとする試みがなされている。「スマホ」「ママチチャリ」「レジ袋」「シングルマザー」などなど、元の語を縮めた新語は枚挙にいとまがない。もちろん悪くはない。“正統日本語”から言えば、どうかという言葉も多いがこれらの意味は誰もが理解し市民権を得ている。ただ筆者の偏見を言ってしまえば、ママチャリなどは自ら句に使いたくない言葉である。チャリンコの語源を知れば句の品格が薄れると思うのだが。
 掲句は「立冬」の季語によく合っていると思い一票を入れた。冬野菜のまだ十分に伸びきっていない早暁の光景だろう。青菜畑が薄明かりを浴びている。光を放っているのは畝だけでなく小さな青菜自身もだ。青菜の健気さえ見える。冬に入った証しに相応しい句であり、何より古めかしくても新語に頼らない俳句は当然捨てられない。
(葉 19.11.08.)

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