稲妻に首刈られしか地蔵尊    今泉 而云

稲妻に首刈られしか地蔵尊    今泉 而云

『この一句』

 以前、句友何人かが集まって数年がかりで「逆回り奥の細道吟行」をやったことがある。「奥の細道」大団円の大垣をスタート地点とし、深川をゴールとする“へそ曲がり奥の細道”である。その何回目だかに白河関を訪れた折、昼なお暗い山林にこの句のような石の仏さんを沢山見て、一瞬得も言われぬ悽愴の念を抱いた。芭蕉の頃は大切に祀られていたであろう観音菩薩、地蔵菩薩などが、木々や雑草の生い茂る山中に、腕がもげたり首が落ちたりした姿でほったらかしになっていた。白河関跡からさほど離れてはいないのだが、観光ルートから外れて訪れる人も稀になり、地元もついついそのままに、といったところらしい。
 風雪に曝され、痛めつけられた石像は寂しい感じがすると同時に、凄みがある。この句の地蔵さんは何処のものか分からないが、やはりそうした雰囲気がうかがえる。
 稲妻がぱっと光った一瞬、作者は首無し地蔵を見たのだ。有るべき筈の首が無い地蔵が、闇中の閃光に浮かんだ。その驚きを、「稲妻に首を刈られてしまったのか」と詠んだのである。舞台効果満点の句である。
(水 19.11.06.)

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