新米の透き通りたる今朝の飯   石黒 賢一

新米の透き通りたる今朝の飯   石黒 賢一

『この一句』

 朝、新米を炊き上げた。電気釜の蓋を取ったら、米はまるで透き通っているかのように見えた。茶碗に盛ったらさらに光り輝いていたが、透き通ってはいない。見たままの真実を詠むならば、「透き通るごとく」としたくなるところである。しかし作者は気合よく「透き通りたる」とした。
 昭和の初期だったか。「ごとく俳句」が話題になり、よく詠まれたという。虚子の「たとふれば独楽のはぢける如くなり」「去年今年貫く棒の如きもの」あたりが発生源なのか。一時期、大いに流行ったそうだが、やがて「ごとく俳句は好ましくない」とするのが定説のようになり、気が付けば「ごとく」は、ほとんど見かけなくなっている。
 作者は「ごとく」のことを特に意識せず詠んだらしい。それがよかったのだろう。見たままではなく、思ったままを素直に詠んだのである。それによって、いかにも新米らしい艶やかさ、美味しさが浮かび上がってきた。
(恂 19.10.20.)

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