秋の声よいしょよいしょとペダル踏む 斉藤早苗

秋の声よいしょよいしょとペダル踏む 斉藤早苗

『この一句』

 元気いっぱい、気持の良い句である。自転車の前と後ろに幼子を乗せて懸命に、しかし楽しそうにペダルを漕ぐ若い母親が浮かんできた。
 しかしこの句は、保守的で伝統的な俳句を詠む人からは、「秋の声という季語の本意を踏み外した乱暴な句だ」といった小言をもらいそうだ。「本意」とは季語が担っている「意味合い、季節感、雰囲気」のことである。連歌から俳諧(連句)を経て俳句へと移り変わって行く中で、季節を表す言葉が重要視され、「季題(季語)」というものが定着した。季語は連綿と受け継がれ、取捨選択され、磨かれた。それは良いのだが、やがて「春雨はしとしとと艶な風情で降るもの」「秋の声は何の音とも知れず蕭条ともの哀しく伝わり響くもの」と詠むべきだ、といった「型」が出来た。当然の反応だが、そういう馬鹿馬鹿しい約束事を蹴飛ばして「無季俳句」が生まれ、定型すら無視する自由律俳句も生まれた。
 この句は居丈高に旧弊を打破しようとしているわけではない。「秋の声」という季語から、そう言われれば毎日の自転車漕ぎにも秋らしさを感じるようになったと、自然体で詠んでいる。「秋の声」という季語の"鋳型"から抜け出して、それにふくらみを与え、生き返らせてくれたように思う。
(水 19.09.28.)


この記事へのコメント

  • 双歩

     この句、生活実感があって気に入りました。汗をかく夏は押して上がった坂も、少し涼しくなって立ち漕ぎしてるのでしょうね。「よいしょよいしょ」の自分の声も「秋の声」の一部なのでしょうか。
    2019年09月28日 13:29