焦土から八十年の芽吹きかな   岩田 千虎

焦土から八十年の芽吹きかな   岩田 千虎 『この一句』  いま東京亀戸の一室で東京大空襲の写真集を見ている。キャプションに「新大橋上空から深川、東京湾をのぞむ。左から竪川、新大橋通り、小名木川が走る」とある。ボツボツと、工場や会社の建物、否その残骸は見えるものの、はるか荒川まで、見渡すかぎり焦土である。ベランダへ出て、周囲を眺めわたしてみる。まさに、この写真の、この場所にいるのだ、と思っても、さらさら現実感が呼び起こされない。3月10日未明の大空襲で、およそ十万人が死んだといわれる。焼けて、窒息して、溺れて、凍えて、落下物の下敷きになって、十万人が命を落とした。戦争の現実を、焦土の写真はありのままに伝えてくれる。  「昭和二十年三月一〇日十二時、大本営発表《本三月一〇日零時過ぎより二時四〇分の間、B29約一三〇機、主力を以て帝都に来襲市街地を盲爆せり、右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は二時三五分其の他は八時頃までに鎮火せり。現在迄に判明せる戦果次の如し。撃墜一五機、損害を与へたるもの約五〇機》」この「発表」と写真集の「焦土」の間に、真実が横たわっている。フェイクニュースは、どこかの大統領の専売特許では決してないと、今更ながら思う。  作者も、評者も、戦後生まれで現実の焦土を知らない。知らないことは、聞いて、学んで、知るしかない。作者は「芽吹く木に平和が続いて欲しいとの思いを託しました」と自句について語っている。同感である。令和七年三月十日朝、下町にようやく朝日が…

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