春の雪鍵だけ残る双牛舎     星川 水兎

春の雪鍵だけ残る双牛舎     星川 水兎 『この一句』  日経俳句会、番町喜楽会と三四郎句会という三句会でしか通じない句ではないかと思う。双牛舎ブログをたまにご覧になっている方でも句の背景までは理解できないだろう。双牛舎という俳句に関する組織があるのは知っている、その事務所の鍵がどこかに寂しげに存在している。ここまでは分かる。折からの春の雪。事務所のドアに鍵が挿さったままなのか、あるいは関係者の一人が鍵を握って何か感慨に耽っている図だろう。そんな想像をするのがせいぜいだろう。  双牛舎は俳句の一般への普及振興をめざし、2007年秋(平成19)NPO法人として東京都から承認された。俳句に関するNPO設立は都内初のケースという。以来18年間にわたってさまざまな活動を続けてきた。それが今度NPOの法人格を返上・解散することとなった。事務所を構えていた千代田区二番町の一室を事情があって退去、それを機に身軽な20年前の任意団体にもどるというわけだ。  設立の主宰二人の干支である丑年をなぞった名・双牛舎では、長いあいだ番町喜楽会の例会や連句会が行われてきた。小部屋ながらも十人ほどの句友が膝を突き合わせ俳句に親しんだ。  上の句はまさに双牛舎のこれまでと、今の姿を詰め込んだ。「鍵だけ残る」に万感がこもる。関係者のほかには評価しにくい句でありながら、句友は哀感を共有した。3月日経俳句会で最高点を得たのは、うべなるかな。都内を薄白く染めたこの間の雪は名残雪と受け取れ、「春の雪」の季語がこの上もな…

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四人目で女児誕生や桃の花    斉山 満智

四人目で女児誕生や桃の花    斉山 満智 『この一句』  句意は明快で、読めば誰でも「おめでとうございます」と祝福したくなる、心温まる句である。生まれたばかりの赤ちゃんとお母さんを、3人の男の子とお父さんが覗き込んでいる、そんな場面が浮かんでくる。添えられた桃の花の季語が、めでたさを膨らませている。ピンク色の花の華やぎと、桃の節句のイメージが、女児誕生を寿いでいるようだ。  日本は戦後のベビーブームから25年ほど多産社会が続き、人口増加が高度成長を支えてきた。第2次ベビーブームの頃までは、教室は子供で溢れかえり、3人兄弟、4人兄弟はざらだった。ところが1983年以降は出生数は減り続け、2022年の厚労省の統計では、子供のいる世帯は全体の18.3%にとどまる。子供の数も1人が半数を占め、2人が38%、3人以上は12.7%にすぎない。子供4人と聞くと、珍しがられる時代である。  そんな少子化の波に抗って4人目にチャレンジしたのは、勇気ある決断といえる。現代は「少なく生んで大事に育てる」時代とか言われ、子育ての費用や教育費は増える一方である。4人の子供を大学まで出すとなると大変だろうなとか、余計な心配をしてしまう。  水牛歳時記によれば、桃の花は古代中国では、純真で健康的な乙女の象徴とみなされてきたという。4人目に授かった女の赤ちゃんが、すくすくと育ってほしいと願うばかりである。 (迷 25.03.28.)

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お隣は三人姉妹桃の花      向井 愉里

お隣は三人姉妹桃の花      向井 愉里 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 三人姉妹だとご両親は苦労が絶えないなあ、などと同情しつつ採りました。シンプルだけど面白い句です。 青水 同じ「桃の花」の句でも、「四人目で女児誕生」はオモテの句、「三人姉妹」はウラの句というニュアンスの違いがあります。どちらも良い句だと思って頂きました。 百子 ちょっと既視感のある句ですが。うちは男の子三人。「お隣は男三人花菖蒲」です(笑)。           *       *       *  「桃の花」とくれば、すぐさま桃の節句が頭に浮かぶ。桃の花の清潔で淡い色合いは、女の子や若い女性のイメージに結びつく。この兼題に「四人目で女児誕生や桃の花」「褪せぬまま晴れ着幾年桃の花」「振袖をほめ合ふ姉妹桃の花」などの句が出てきたのもその証拠と言える。女の子、晴れ着、振袖はすべて女性のしとやかさを表現している。作者の隣の家は三人姉妹。桃の節句の日、甘酒にあられでもつまみながら雛壇の前で語らう情景が見えてくる。そのような雰囲気がこの句にはある。なんの作為も見えない句でありながら、のどかな春の日を詠んで季語に合った句と思う。三人の娘がいる筆者には見落とせない句だった。 (葉 25.03.26.)

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春暁やまず母が起き犬が起き   嵐田 双歩

春暁やまず母が起き犬が起き   嵐田 双歩 『この一句』  春暁という字を見ると、春の明け方をイメージするが、水牛歳時記によれば暁(あかつき)は夜の範疇に入るもので、「夜明け前の最も暗いと言われる暁闇の時刻である」という。東の空に陽が昇り出すと曙(あけぼの)になり、朝の時間帯となる。暁と曙をきちんと区別していた平安人と違い、現代人はどちらも夜明け頃を指すと思っている人が大半であろう。  掲句はその春暁に、まず母が起き出すと詠む。3月初めの東京の日の出は6時前後なので、夜明け前のまだ暗いうち、5時頃であろうか。春先は寒の戻りもあり、夜明け前はまだ冷え込んでいる。朝食の準備か弁当作りか、母親は家族のために暖かい寝床を抜け出し、寒い台所に立つのである。  その気配に敏感に反応するのは飼い犬である。台所の物音を聞きつけ、寝そべったまま耳を立てて様子をうかがう。そんな春の一日の始まりが、テレビドラマの一場面を見るように描かれている。母の次に犬を持ってきたことで可笑しみが生まれ、にぎやかで笑いの絶えない大家族が想起される。「肝っ玉母さん」とか「寺内貫太郎一家」など、昭和の家庭ドラマを思い出した。  春暁という季語の本来の意味と、夜明け前の台所の映像が無理なく結び付いている。エプロン姿の母親を思い浮かべたり、次に起きてくるのは朝練の息子かなと考えたり、家庭ドラマの続きに思いを巡らせた。 (迷 25.03.24.)

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二輪ほど箸置きになり桃の花   星川 水兎

二輪ほど箸置きになり桃の花   星川 水兎 『合評会から』(番町喜楽会) 光迷 桃の花の枝を箸置きにというのは、可愛くていいなと思って採りました。 幻水 子供の頃、母親がこんなことをしていて、懐かしく思いました。 的中 自分にはこういう経験はまったくないのですが、桃の枝はとてもごつごつしていて、それを箸置きにするのはいいですね。 迷哲 二輪ほど花が付いた桃の小枝が箸置きとは風流です。高級料亭の春の膳ですか? 可升 いい句だと思ったのですが、「なり」が少し気になりました。 水牛 「ほど」も気になるなあ。 水兎(作者) 確か百子さんと行った中目黒の店で、こんなことがあったように記憶しています。           *       *       *  高級料亭かどうかはともかく、景がすっと浮かび、和やかで豊かな気分にしてくれる一句である。合評会では「ほど」や「なり」に引っ掛かる向きがあったが、大きな問題ではあるまい。俳句には芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」のように切れの入った鋭角的なものもあれば、蕪村の「鮎くれてよらで過行く夜半の門」のようにゆったりした調子のものもある。良し悪しではなく、どちらが好みに合うかではないか。 (光 25.03.22.)

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春暁や吾子の弁当今日かぎり   中村 迷哲

春暁や吾子の弁当今日かぎり   中村 迷哲 『この一句』  「春暁」の季語にTPO(時・場所・場面)が、ピッタリはまった句と思う。この家には中学か高校生の子がいて弁当を作らなければならない。年に二百数十日も早起きし、弁当を作ってきた作者の妻を詠んだ句と読み解く。私立では給食や校内食堂のある学校が少なくないが、わが子は弁当を持って登校する。世間には貧しさで三食満足な食事ができず、給食で栄養を摂っているという子がいる。まだ弁当を持って行けるのは幸せだとまでは言うまい。この句には、弁当を毎日作る母親(時には父親)の苦労がたしかにある。  春の朝まだき、母親は家族の誰よりも早く寝床を離れ、キッチンに立つ。昨夜の夕食の残りでもあればいいのだが、弁当用にと新しいおかずを作る。定番は卵焼きにウィンナー、野菜物も必要。あれこれ頭を使い、食中毒シーズンなら衛生に気を配る。わが子のためとはいえ、弁当作りは中学であれ高校であれ三年間続く早朝の仕事だ。  わが子がやっと卒業を迎えた。最後の弁当を作りながら、「やれやれ、今日でやっと解放されるのか」と、しみじみ思ったことだろう。「弁当今日かぎり」のフレーズに感無量の思いがこもっていまいか。明日の朝からは楽になるという思いよりも、わが子が上の学校へステップアップする喜びがみえる。もしかして、卒業を祝うメッセージも弁当に包み込んだかもしれない。今月の番町喜楽会で最高点を得た句である。 (葉 25.03.20.)

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腑に落ちぬ事だらけなり春寒し  金田 青水

腑に落ちぬ事だらけなり春寒し  金田 青水 『合評会から』(番町喜楽会) 的中 変動が激しい世の中で、トランプ大統領のことなども含め、腑に落ちないことが多いなと、思わず採りました。 満智 本当にそうだなあと強く共感しました。どこかの県も、どこかの国も。おかしいと思う感覚がそのうち麻痺しそうで怖いことです。 斗詩子 トランプ大統領とゼレンスキー大統領会談での関係悪化、国際的な闇バイト、 多発する殺人事件、各地で老朽化した下水道管、インバウンドによる人出等々もろもろ入ってくるニュースは腑に落ちぬ事だらけ。みな背筋にすっと寒気が入るような明るさの無い話ばかり。老兵は消え去るのみですかね。若者に託せるのかしら。バアさんのブツクサ(笑)。           *       *       *  いつの時代も「腑に落ちない事」はいっぱいあるのだけれど、近頃は身の回りに始まって近県から日本全国、さらには全世界にどうにも腑に落ちない理不尽な事ばかりが起こっている。  八十年前、廃墟から立ち上がった日本人はがむしゃらに働き、三十年ばかりで驚異の復興を遂げ、世界第二位の経済大国になった。しかし、その後が悪い。ずるずる、政界も経済界も、そして庶民の世界も、みんなぬるま湯に浸かっているうちに蕩けてしまった。いつの間にか「腑に落ちぬ事だらけ」のニッポンである。背筋の寒くなる春である。 (水 25.03.18.)

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憧れの制服試着風光る      工藤 静舟

憧れの制服試着風光る      工藤 静舟 『合評会から』(日経俳句会) 朗 合格おめでとうございます。新しい学校でのワクワクする春が始まりますね。 青水 風光ると憧れと試着の繋がりに無理がなく、季語を信じた作風が良いと思います。 迷哲 制服に憧れるというので、女子中学か女子高校を受験した女の子をイメージしました。弾む心と季語が上手く合っていて、爽やかな感じを受けました。 双歩 憧れの制服ですから、当然光り輝いて見えたでしょう。風も光り、とても爽やか。 明生 憧れの中学か高校に見事入学したのだと思います。その制服を初めて試着した時の生徒の眩しさ初々しさ、よくわかります。           *       *       *  確かに筆者の記憶でも、初めて学生服に袖を通した時は晴れがましく感じたものだ。何だかちょっぴり賢くなった気もした。制服にはステップアップの証の要素もある。ましてや難関校に合格し、「憧れの制服試着」だとしたら、なおさらだろう。  季語「風光る」は、山本健吉によると「うらうらと晴れた春の日に、軟風が吹きわたることを言う。風にゆらぐ風景のまばゆいような明るさを、風が光ると感じた」という。選者が口を揃えて言うように、「憧れの制服」と「風光る」はまさにピッタリ。春らしい気持の良い一句となった。 (双 25.03.16.)

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文学のこみち下りて春の潮   坂部 富士子

文学のこみち下りて春の潮   坂部 富士子 『この一句』  五七五の十七音に詩情豊かな言葉を配し、爽やかな風が抜けるような句である。「文学のこみち」と聞けば、文芸作品や詩歌を刻んだ石碑のある散歩道をイメージする。作者はそれらの碑を眺めながら、ゆっくりと坂道を下っている。下五に据えられた「春の潮」の印象が鮮やかで、辿り着いた海岸に寄せる潮騒が聞こえ、潮の匂いまで感じられそうだ。文学のこみちと絶妙に響き合う季語の選択といえる。  文学のこみちに類するものは日本各地に設けられている。青森市には太宰治や寺山修司の作品を刻んだ「文芸のこみち」があり、世田谷区下北沢には近辺に住んでいた横光利一や三好達治の碑を巡る「文学の小路」がある。日本人の石碑好きと、観光名所を作りたい地元の思惑が、数多くの「こみち」を生んでいるのであろう。  句会後に作者に聞いたところ、友人と尾道を訪ねた時の経験を詠んだという。尾道の「文学のこみち」は、林芙美子や志賀直哉らゆかりの作家25人の作品を、高台にある千光寺の山腹に散在する自然石に刻んだもの。尾道観光の目玉のひとつとして紹介されている。尾道と知って掲句を読み直すと、坂の街のたたずまいと、作者が瀬戸内海を目にした時の感動が彷彿とする。  作者は俳句を始めて半年足らずだが、入門書を読むなど勉強熱心で、句会への出席率も高い。この欄への登場回数も増えるだろうと期待している。 (迷 25.03.14.)

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春暁や腓返りに夢たたれ    玉田 春陽子

春暁や腓返りに夢たたれ    玉田 春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 青水 僕も年中腓返りを起こします。痛いし、なかなか治まりません。いい句なのですが、「夢たたれ」はあまりいただけなかったです。痛くて、そんなことを思う余裕はありません。 てる夫 痛いんですよね、ふくらはぎを押さえてとび起きて、室内を歩く。治まるまでの情け無い気持ち。嫌なものです。 斗詩子 最近は散歩やリハビリの効果か、だいぶ減りましたが、この激痛はとても一言では説明できないですね。お大事に。 可升 「春夏秋冬腓返りに夢たたれ」状態なので採れませんでした(笑)。           *       *       *  こう言われてみると、なるほど「春暁」にはよく付く句だなあと思う。私の場合、4時近くに尿意で目が醒めるのと同時に腓返りが起こる。青水氏の言うように「夢たたれ」は少し安易な結びではないか。そんな悠長なことは言っていられない、「うめきをり」あたりが至当ではないかなと思う。  それはともかく、この句をきっかけに句会では「就寝中のこむらがえり」についてあれこれ話になった。ああそうなんだ、自分だけじゃないんだ、ほとんどの老人が悩まされているのだということが再認識できた。それでなんとなくほっとした気分になったのだから、なんとも可笑しく、いじましい。 (水 25.03.12.)

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