焼跡に雑炊すする我八歳 大澤 水牛
焼跡に雑炊すする我八歳 大澤 水牛
『この一句』
雑炊は何でもグルメのこの頃、昔の雑炊ではない。河豚ちり、すっぽん鍋、鮟鱇鍋などの高級料理の〆として供される。そもそも雑炊は、貧しさが当たり前の室町時代までは「増水(ぞうすい)」と呼ばれたそうだ。貴重な米の嵩を増すためで野草なども混じっていたに違いない。消費生活が多少豊かになった江戸期になって、卵などの具を加えることから「雑に炊く」雑炊となったという。関西では「おじや」と言って、雑炊とは言わないとも。汁が多いのが雑炊で汁少ないのがおじやとの分け方もある。いずれにしろ、現代では食欲がそそわれる冬の季語である。
作者は80代後半の戦後闇市派。ときおり戦中戦後の食糧事情の酷さを語る。横浜育ちで学童のころは千葉に疎開したと言っている。当時の千葉の田舎は都会っ子いじめがあったし、米・魚・肉をはじめ食べ物不足もはなはだしく食べられるものは何でも食べたと。そんな時代にあった作者にとって、おじやは大ご馳走と思ったことだろう。白米が少しでも入っていれば上等、たとえ雑穀と芋の蔓の雑炊でもありがたかった。小学低学年で育ちざかりの身には、美味い不味いなど無縁だ。
映画やテレビドラマでときたま描かれるこの句のシーンは、グルメ三昧の現代の若者にどう響くのだろうか。「時代が違う」と一蹴されるのかもしれないが、あえて「我八歳」と詠んだ作者80年前の現実で、戦中派置き土産の忘れがたい一句である。
(葉 25.01.27.)