水仙のつぼみをほどく朝日かな 溝口戸無広
水仙のつぼみをほどく朝日かな 溝口戸無広
『合評会から』(日経俳句会)
実千代 つぼみをほどくという言葉に惹かれました。
枕流 朝の訪れを告げるように水仙の花が開いている様子が目に浮かびました。
愉里 とても気持の良い、清々しく明るい景を詠まれています。
木葉 朝に水仙が咲いたということだけですが、つぼみをほどくという表現が非常に効いています。
明生 水仙というと、つい香りに関連した句を作りがちですが、つぼみに焦点を当てたことに感心します。つぼみをほどくなんて上手な表現だと思いました。
操 水仙の咲き誇る野に渡る朝日、澄んだ情景。つぼみをほどくという措辞が引き立つ。
ヲブラダ 冬の朝の清々しさを感じます。
豆乳 つぼみをほどくという表現が美しい。
* * *
異口同音、「つぼみをほどく」という措辞が絶賛された。しかし、「水仙って、いつも咲いているような気がして、本当に朝につぼみが開くのか分からなかったので採りませんでした」という意見もあった。この「異見」は正しい。確かに水仙は朝花開くとは決まっていない。しかし、いかにも朝日が蕾をほぐす感じになることも確かだ。「水仙のつぼみはいかにも硬そうな感じがしますが、金色の朝日に照らされると、ほどけるように感じました」という作者の感性を尊重しよう。
(水 25.01.07.)