両の目のレンズ張替え春隣   杉山 三薬

両の目のレンズ張替え春隣   杉山 三薬 『この一句』  いきなり俳句仲間うちの話になってしまう。筆者はこの句の作者と入社同期で配属先も同じ。酔吟会でいまも顔を合わせる間柄だ。句会のあとは反省会と称する飲み会となるのだが、作者は紛れもない下戸、筆者もいま病気療養中とあってともに参加を控えている。酒の飲めない二人は仲良く語り合いながら帰途につく。途中の話題はさまざまだが、後期高齢者同士であるから健康状態がおもになる。  この句が高点を取った今月の日経俳句会。選句表を見たときには作者が誰と思い至らず、「選」から漏れた。作者名を知った途端、いつの日かの句会帰りを思い出した。そういえば、白内障の手術をして劇的に視力が戻ったと言っていた。白内障は老人大多数の悩みだ。そういう筆者も定期的に眼科医にかかっているが、手術が必要という段階ではない。だからこの句が我が身に迫るものと思わず採りそこねた。選句者の心情には、「共感」という要素が選句を左右するのだとあらためて思い知ったことである。  当今、白内障手術をしたという人が周りに多い。目の前が明るく開けたと効果を絶賛する。濁った水晶体をレーザーや超音波で砕いて取り出し、人工のレンズを眼に入れるという方式だそうだ。同時に老眼も改善できるとある。作者は自らの経験を引いて「春隣」の季語にふさわしい句を作った。「張替え」のぶっきら棒な表現も的確と思う。作者によれば、女医だったというからますます春めいてきただろう。 (葉 25.01.31.)

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初手水昭和百年幕が開く     中野 枕流

初手水昭和百年幕が開く     中野 枕流 『合評会から』(日経俳句会) 三薬 気がつかなかったけど昭和百年なんだよね。ぼくらの頃は明治百年なんてよく言ってました。気付かなかったことを気付かせてくれたということで。こういう記憶が好きなんで、もう自動的に採りました。 青水 気の利いた時事句ですね。中七の捌きも季語の斡旋も見事です。取り立てて感慨を覚えませんが、巧みな作者に一票。 朗 昭和は遠くなりにけりです。生きていれば父は九十二歳、母は九十一歳。自分もぼおっとしているうちに、はや六十九歳になりました。 木葉 昭和百年の年を詠む句。ただ、大きなテーマを詠むのに「初手水」は景が小さすぎる。初詣や初参と大きく構えては。 定利 上五が良いですね。昭和生まれは頑張らねば。 双歩 青水さんは取り立てて感慨を覚えないと言いましたが、幕が開くという言い回しが良いと思いました。           *       *       *  大正15年12月25日に大正天皇が崩御、即日、昭和元年になったので、正確に言うと「昭和百年」は今年十二月二十五日。その上、今年は戦後八十年、三島由紀夫生誕百年等々いろいろある。年末にかけて様々な行事が繰り広げられそうだ。初詣でそれに気がつき句に仕立てたのが何と言ってもお手柄。ただ、上五は木葉さんの言う通り、「初詣」と素直にやった方が良かったと私も思った。 (水 25.01.29.)

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焼跡に雑炊すする我八歳     大澤 水牛

焼跡に雑炊すする我八歳     大澤 水牛 『この一句』  雑炊は何でもグルメのこの頃、昔の雑炊ではない。河豚ちり、すっぽん鍋、鮟鱇鍋などの高級料理の〆として供される。そもそも雑炊は、貧しさが当たり前の室町時代までは「増水(ぞうすい)」と呼ばれたそうだ。貴重な米の嵩を増すためで野草なども混じっていたに違いない。消費生活が多少豊かになった江戸期になって、卵などの具を加えることから「雑に炊く」雑炊となったという。関西では「おじや」と言って、雑炊とは言わないとも。汁が多いのが雑炊で汁少ないのがおじやとの分け方もある。いずれにしろ、現代では食欲がそそわれる冬の季語である。  作者は80代後半の戦後闇市派。ときおり戦中戦後の食糧事情の酷さを語る。横浜育ちで学童のころは千葉に疎開したと言っている。当時の千葉の田舎は都会っ子いじめがあったし、米・魚・肉をはじめ食べ物不足もはなはだしく食べられるものは何でも食べたと。そんな時代にあった作者にとって、おじやは大ご馳走と思ったことだろう。白米が少しでも入っていれば上等、たとえ雑穀と芋の蔓の雑炊でもありがたかった。小学低学年で育ちざかりの身には、美味い不味いなど無縁だ。  映画やテレビドラマでときたま描かれるこの句のシーンは、グルメ三昧の現代の若者にどう響くのだろうか。「時代が違う」と一蹴されるのかもしれないが、あえて「我八歳」と詠んだ作者80年前の現実で、戦中派置き土産の忘れがたい一句である。 (葉 25.01.27.)

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初夢の行方不明となりにけり   植村 方円

初夢の行方不明となりにけり   植村 方円 『この一句』  初夢という目出度い季語に、行方不明という不穏な言葉を取合せ、ミステリアスな雰囲気が漂う句である。「初夢はいつも忘れてしまう。行方不明が上手い 豆乳」の句評ように、初夢が捉えどころなく消え去るという誰もが経験することを、行方不明と表現した点に俳味を感じた人が多く、日経俳句会の初句会で10点を得て、一席となった。  初夢は新年になって初めて見る夢のこと。水牛歳時記によれば、初夢を見る日取りは時代や地域によって様々な説があるが、今日では「一日夜」と「二日夜」が大勢を占めているという。俗に「一富士二鷹三茄子」の夢が縁起が良いと言われる。昔は吉夢を見ようと枕の下に宝船の絵を敷いたり、逆に悪い夢を食べてもらおうと獏の絵を置いたりしたようだ。  昔の人ほどではなくても、新年の吉凶を占う初夢の内容は気になるもの。普通は何とか思い出そうとする。掲句がわざわざ行方不明という言葉を使ったのは、単に夢を忘れてしまったのではなく、心静かに夢を見られる気がしない、初夢を見るような世の中ではないと言いたかったのではないか。  作者は初句会に欠席だったので、後日その真意を聞いてみた。それによると、年末年始に家族の骨折や病気による緊急手術・入院が続き、旅行をキャンセルするなどバタバタしたそうだ。「何かしらの初夢は見たと思うのですが、文字通り行方不明となった次第です」とのコメントが返ってきた。初夢を見たり思い返す心の余裕がなかったというのが、実相のようだ。…

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あれはだめこれも燃やすなどんど焼き 杉山三薬

あれはだめこれも燃やすなどんど焼き 杉山三薬 『合評会から』(日経俳句会) 愉里 昨年末、正月飾りを買いに行ったら、このお飾りはエコだから全部燃やせますと言われました。それを売りにしているようです。 てる夫 自治会の役員がそれは燃やせない、ビニールの類は駄目と、細かい。変なものを燃やすのを非常に嫌がります。 水牛 うちの方の神社でも鶴は外せ、海老も外せとか、いろんなことをいう。分別する箱が置いてあって、本当に面倒くさい。 静舟 焚火の難しい時代。神社に行くと分類の細かい注意書きがある。分けられた人形やマスコットはどうなるのだろう。 千虎 自然素材だけで出来た物が減って、どんど焼きも難しいのでしょうね。 光迷 最近の世相をよく捉えています。お炊き上げでも立札に注意事項がずらり。           *       *       *  「どんど焼き」は、新年の季語「左義長」の傍題。1月15日の小正月に正月飾りなどを持ち寄って焼き、その火で餅や団子を炙って食べ息災を祈ったり、書き初めの書を焼いて上達を願ったりする火祭りの行事だ。  ところが、上記選者の数々の証言から分かるように、最近はほとんどの場所で左義長に焼べる物が制限されている。金属類はあたり前として、燃すと有害物質が出る物もあり、屋外で何かを焼くのは本当に気を遣う。もちろん、冬の風物詩「焚火」も今や御法度。そんな味気なくなった世相をユーモラスに掬い取って、初句会で堂々の高点句となった。 (双 25.01.23.)

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カツカツと板書ひびけり寒四郎  玉田春陽子

カツカツと板書ひびけり寒四郎  玉田春陽子 『この一句』  今年も私立中学を皮切りに高校、大学と入学試験のシーズンがやって来た。受験生はもとより教師、両親らも気の休まるいとまがない時期である。この大事なときに予備校倒産などとのニュースが流れ、他人ごとではないと心配するのも当然だろう。いま教室では直前の追い込み授業が静かに進んでいる。寒のさなか、室内には乾いた空気と生徒の集中心が漲っているに違いない。  黒板は昨今ホワイトボードと油性ペンに変わった。あるいはⅠT教育花盛りのいまではプロジェクターやパソコンを使って授業が行われているかとも思う。この句は「板書ひびけり」とあるから昔の黒板授業だろう。白墨(これも懐かしい言葉だ)が「カツカツ」と黒板に無機質な音を立てている。教師の熱意が読み取れる擬音の使い方である。白い粉が飛び散り、力余って白墨がよく折れた記憶を、筆者は作者と共有する。後期高齢者世代が顔をそろえる句会だから、この感覚はノスタルジーとともに容易に受験生のころに帰ることができる。寒の入りから四日目を詠む「寒四郎」に時期、場面がよく合った句だ。寒中の受験勉強の厳しさが、十七文字の隠約の間に滲み出ているとみた。  この句会では、出席者一人ひとりが六句選のなかで、特に推す句を選ぶ決まりがある。筆者は特選句に選んだ。 (葉 25.01.21.)

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また覗く転職サイト寒四郎    廣田 可升

また覗く転職サイト寒四郎    廣田 可升 縁結びスマホに頼る年男     中村 迷哲 『この二句』  1月酔吟会で掲句と並んで『縁結びスマホに頼る年男 中村迷哲』が好評を博した。この二句は「転職サイト」と「縁結び」で本来毛色が違うのだが、SNS全盛の悲喜劇を詠んだ共通項があり、その背景が興味深い。 何でもかんでもSNSで済ませられる時代にいる。Ⅹ、メタが牛耳る情報の世界。グーグル、ヤフーであらゆることがスマホで検索できる。行き交う情報は玉石混淆、事実もあればとんでもない嘘もある。民主主義を壊しかねないニセ選挙情報などは早晩規制対象になるだろうが、いずれにせよ情報リテラシーが問われている。  「転職サイト」の句を読めば苦笑を誘われる。しかし内実は笑うに笑えない。そこにあるのは転職流行りに非正規労働者の稼げる仕事探しだ。句中の人物がいまの仕事に満足していないのは確か。仕事中でもついつい何度もサイトを見てしまう。「また覗く」のフレーズがコミカルである。仕事は上の空で、会社のパソコンを私用使いしているのではないかと要らぬ心配もしたくなる。一方の「縁結び」も手拍子で笑えない。コロナ禍による接触回避の風潮とリモートワークへの移行で、男女の出会いの場がないという事情が尾を引く。結婚願望のある年男でも24歳ならまだまだ大丈夫。36歳、48歳ともなれば焦りも出てこよう。出会い系サイト頼みになるが、ぜひ優良サイトを選びなさいと、これまた要らぬお節介も。軽いタッチの両句であるが、見事に現代を風刺して…

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温暖化止められぬ星寒四郎    中村 迷哲

温暖化止められぬ星寒四郎    中村 迷哲 『合評会から』(酔吟会) 春陽子 温暖化に悩む地球を「温暖化止められぬ星」と捉えて大成功。季語の「寒四郎」を据え、季節の消失を嘆く作者が浮かんできます。 水牛 温暖化が止められない地球という素材はたくさん詠まれていますが、「寒四郎」との組み合わせは恐らく初めてじゃないかと思います。その新鮮さを買いました。 迷哲(作者)先日、七福神めぐりの折り「最近は寒の入りと言っても温暖化でちっとも寒くないね」という話をしました。カリフォルニアの山火事も温暖化のせいでしょう。自分自身も含めて誰も温暖化を止められない、自戒も込めて詠んだ句です。           *       *       *  地球温暖化は、解決に時間のかかる深刻な問題であると同時に、人間の馬鹿さ加減が露呈した問題でもある。ロサンゼルスの山火事を他人事のようにみなし、またガソリン自動車に力を入れようとする米国の次期大統領とか。 いま脚光を浴びているAIにしても、電力消費量を考えれば、温暖化防止に逆行する可能性が大だ。ならば原子力発電をと言うのは愚かにも程があろう。使用済み核燃料の廃棄には目途さえついていないのだから。 (光 25.01.17.)

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町工場名残りの細道冬うらら   杉山 三薬

町工場名残りの細道冬うらら   杉山 三薬 『この一句』  正月五日に大田区矢口の新田神社を皮切りに、多摩川七福神吟行をした時の一句である。毘沙門天を祀る十寄神社から弁財天の東八幡神社へ行く道すがら、細い通りの両側に住宅に挟まれるように町工場が見られた。中に、「〇〇研磨」という名の会社がいくつかあった。研磨は金属加工のプロセスでもあるが、このあたりはキャノンの下請け会社が多かったので、レンズ加工だろうと同行の先輩に教えられた。  しばらくすると、「〇〇精螺」という、立派な建物の会社に出会した。「螺」は巻貝、「螺子」と書いて「ネジ」と読ませる。「鋲」と組み合わせて「鋲螺」もネジ・ボルトの類である。「精密な螺子」を作る会社なので「精螺」。グーグル・マップで見ると、この辺りには「〇〇精螺」が何軒もあることがわかる。  筆者は若い頃しばらく、叔父の経営する機械屋で働いていた。バネを製造する機械屋であったが、親戚会社にネジの機械屋があった。圧造・転造などのプロセスを経て、ワイヤ状の材料からボルトが形成されるのを、最初は魔法のように見たのを思い出す。そんなことから「〇〇精螺」のプレートを懐かしく見た。  当日はまさに「冬うらら」にふさわしい文句なしの晴天、町工場を見て昔のことを思い出しながら、多摩川堤までぶらぶら歩き、とても気持ちのいい時間を過ごすことが出来た。作者はこの吟行の大幹事。とてもお世話になりました。 (可 25.01.15.)

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大銀杏結ひて初場所大の里    徳永 木葉

大銀杏結ひて初場所大の里    徳永 木葉 『この一句』  昨年の初場所で新入幕した大の里の活躍は目覚ましいものがあった。夏場所で史上最速の7場所で初優勝を遂げ、秋場所で2回目の優勝、これまた最速の9場所で大関に昇進した。あまりに早い昇進に大銀杏が結えるほど髪が生え揃わず、小さな髷で白星を重ね、土俵を沸かせた。  掲句は1月酔吟会の席題「結」に応じて即妙に詠まれた一句。大関となった大の里がやっと大銀杏を結えるようになり、初場所の土俵に上がるというエピソードに、席題の「結」を巧みに織り込んでいる。席題を見て20分足らずで詠んだ句とは思えない完成度である。  句会では、同じテーマと席題を詠み込んだ「髷結へぬ力士あばれし去年の場所 千虎」の句があり、こちらを選んだ人もいた。この句は昨年の大活躍に目が向けられ、小さな髷の大の里が彷彿とする。新年の初句会だったので掲句を選んだが、去年の大の里と今年の大の里が句会に〝出揃う〟偶然に驚いた。  1年半ほど前に酔吟会で採用された席題方式はすっかり定着し、句友も慣れて来たようだ。わずかな時間にレベルの高い二句が並んだことがそれを如実に示している。大相撲の初場所は12日から始まった。晴れて大銀杏を結った大の里、初日は気負い込んで出たところを曲者翔猿の引き落としにつんのめり、黒星発信となってしまったが、これからどのような相撲を取っていくか注目される。  さらに次の酔吟会では席題でどんな傑作が生まれるかも楽しみである。 (迷 25.01.13.)

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