秋深し荒砥すべらす鍬と鎌 廣上 正市
秋深し荒砥すべらす鍬と鎌 廣上 正市
『この一句』
一読、農家か家庭菜園をやられている作者とわかる。春から夏の間ずいぶん使った鍬と鎌を、深まる秋に最後の手入れを行うという景だ。鎌は切れ味が鈍くなってしまったし、鍬の先も小石にでも当たって刃こぼれ気味かもしれない。作者はこの秋までどんな作物を作っていたのか、好奇心がちょっと湧いてきて知りたくなる。しかしそれは句を評することとは別のこと。
この句の作者名をあとで知ったのだが、退職したあと湘南あたりに住まいを移し、農作業に親しみつつ日々を過ごしているという句友だ。農業王国・北海道で生まれ育った句友だから農作業はお手のものに違いない。「荒砥すべらす」という中七にそれがしっかり表われている。刃物を研ぐのには、まず荒目の砥石で粗ごなしし、仕上げに肌理こまかい砥石を使うのだろう。鍬や鎌なら荒い砥石で十分か。「荒砥」とははじめて目にする言葉だ。日ごろ砥石を使うことがない筆者は、「ほう、そうか」と思うばかり。とはいえ荒砥を「すべらす」には疑問の声も聞こえる。だが砥石を手にしている人でなければ出てこない措辞とも思う。この一語で鍬鎌を研ぐ場面が見えてきて、荒砥の発するジャリジャリという音が聞こえてくる。
句会には自宅に菜園を持ち季節の野菜を育てる先輩らがいる。農事に関わる句はよく出て来る。なかでもこの句は「秋深し」によく合う‶農事句″と思う。(葉 24.11.07.)