秋冷や見知らぬ駅に降りる通夜 中村 迷哲
秋冷や見知らぬ駅に降りる通夜 中村 迷哲
『この一句』
「秋冷」、「見知らぬ駅」、「通夜」といかにも寂しげな言葉が連ねられ、互いに響き合って、まるで映画か小説のワンシーンのような情景を描いている。とても完成度の高い句である。その完成度の高さは、ややもすれば出来過ぎの感を与え、正直に言えば採ろうかどうか迷った句でもある。
いまどきは、家族だけでこぢんまりと葬儀を行うケースが多く、また会社勤めから離れたこともあり、遠くまで通夜に出かけることはなくなったが、現役時代には誰しもが経験している場面である。スマホがなかった時代、案内状を片手に見知らぬ駅に降り、見知らぬ町の葬儀場を探して行ったものである。
作者によれば、最近、親しかった先輩が突然亡くなられて、通夜に馳せ参じた経験を詠んだとのこと。「見知らぬ駅」はもちろん初めての駅を意味するが、それと共に、突然の訃報をまだ信じられないでいる自身の気持ちもこの言葉に託したとのこと。俳句は限られた音数で、しかも説明することを嫌う表現なので、こういう暗喩は気分としてしか伝わらない。作者の言葉を聞いて初めてわかることである。
作者の思いを踏まえて改めてこの句を読んでみると、それでなくても完成度の高い句が、より彫りの深い句として読み手に伝わってくる気がする。自句自解の効用と言うべきだろうか。
(可 24.10.22.)