広島や炎暑にゆがむアスファルト 嵐田 双歩
広島や炎暑にゆがむアスファルト 嵐田 双歩
『この一句』
原爆の「爆」の字すら使われていない句だが、誰もが八月六日のことに思い至る句である。同じように、原爆の「爆」の字も使わずに、原爆を詠んだ句に西東三鬼の「広島や卵食ふ時口ひらく」がある。口はモノを食べるためだけの器官ではなく、モノを語るための器官でもある。「卵食ふ時口ひらく」は、原爆の惨状を口をひらいて語ることなどできないことを寓意している。
一方、双歩氏の句。炎暑であれば、どこの土地にあってもアスファルトは歪んだり、陽炎が立って見えることがある。しかし、それが広島の炎暑である時、「ゆがむ」はつねならぬ光景を想起させることになる。西東三鬼の句や、掲句は、原爆の直接被害者ではない私たちが、原爆のことを詠むにあたっての、ほど良い、かと言って切実さを失わない、ぎりぎりの立ち位置を示しているように思う。
最近、朝のテレビドラマのヒロインの相手役が「総力戦研究所」に在籍したことがあり、日本必敗を予測したにも拘らず、何もできなかったと悔いるシーンが話題になっている。開戦回避はともかく、七月二六日に発表されたポツダム宣言が即時受諾されたなら、原爆は落とされなかったのではないかという思いは、繰り返し湧いて来る。もちろん歴史にタラもレバもないことは百も承知の上である。「はて?、ガザやウクライナはどう決着させるのだろう」と思わざるを得ない。
(可 24.08.17.)