勘違いと言い放つ君夏の果 向井 愉里
勘違いと言い放つ君夏の果 向井 愉里
『季のことば』
「夏の果」という季語の持つイメージが、さまざまな情景、ドラマを想起させ、印象に残る句である。夏の果は夏の終わりを意味する時候の季語。俳句の世界は旧暦なので、厳密には立秋(8月8日頃)の前、7月末から8月初旬ということになる。その頃は夏の盛りでなので、夏の果を詠む場合は、多少時期をはずれても、夏が終わる頃の風光や感慨が主題になる。水牛歳時記も「そのへんはまあ大目に見て、過ぎ行く夏のあれこれを詠めば良いのではなかろうか」と寛大である。歳時記には同類の季語として夏終る、夏逝く、夏惜しむなどがあり、その気分が分かる。
掲句はどういう状況か分からないが、相手に「勘違い」と言われた場面を詠む。「言い放つ」との表現から、相手の思いやりのない態度や言われたことへの怒りがにじむ。句会では「やっぱり、男と女の関係でしょう?」とか、「ボクのこと好きなんだろうって言ったら、勘違いよって言われた?」など憶測しきりだった。
作者のコメントによれば、そうした色恋沙汰ではないが、期待をしてた相手に、勘違いと言われた落胆、怒りにも似た感情を表現したかったという。現代人の夏は昔に比べずいぶん活動的である。海や山、さらには海外で遊び、さまざまな体験をする。その夏が終わることへの感慨もひときわ深くなる。勘違いと言い放った君と、言われた私の感情の行き違いに、読者はそれぞれの「夏の果」の感慨を重ね、ドラマを思い描く。季語の力を実感する句である。
(迷 24.…