大夕立広重の絵の人となる 廣田 可升
大夕立広重の絵の人となる 廣田 可升
『合評会から』(酔吟会)
鷹洋 これはもう、見たままの句ですね。広重の有名な絵の傘をさして走っている姿と自分を重ね合わせているのでしょう。
青水 手練れの作品です。「絵の人となる」とはねえ、しびれますねえ!
道子 広重の絵がすぐに浮かんできました。
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作者は深川住まいだから、句会会場の芭蕉記念館の界隈はしょっちゅう自転車を乗り回している。広重の江戸百景に描かれた様々な風景がいつも頭の中にある。「夕立」の兼題が出たら、すぐに「大はしあたけの夕立」が思い浮かぶのは当然のことだった。
徳川幕府は隅田川を江戸の東側の防御線として千住大橋と両国橋だけしか架けなかった。しかし人口が増えるにつれ房総との交流が増し、いかになんでもということになって元禄6年(1693年)末にこの橋を作った。三つ目の大橋ということで「新大橋」と呼ばれ、千葉方面と都心の浜町とを直結する、人と物流の大動脈となった。
この橋の下流300m程の所に芭蕉庵があり、330年前、芭蕉は架橋工事を朝夕の散歩にわくわくしながら眺めていた。「初雪やかけかかりたる橋の上」と架橋途中を詠み、「ありがたやいただいて踏む橋の霜」と渡り初めの感激を詠んでいる。それからほぼ160年後、歌川広重はこの橋に大夕立を降らせ、その絵を見て大感激したゴッホは懸命に模写して自らの画業に役立てた。それから170年後のいま、不細工な鉄骨の新大橋にはビニー…