大夕立広重の絵の人となる    廣田 可升

大夕立広重の絵の人となる    廣田 可升 『合評会から』(酔吟会) 鷹洋 これはもう、見たままの句ですね。広重の有名な絵の傘をさして走っている姿と自分を重ね合わせているのでしょう。 青水 手練れの作品です。「絵の人となる」とはねえ、しびれますねえ! 道子 広重の絵がすぐに浮かんできました。           *       *       *  作者は深川住まいだから、句会会場の芭蕉記念館の界隈はしょっちゅう自転車を乗り回している。広重の江戸百景に描かれた様々な風景がいつも頭の中にある。「夕立」の兼題が出たら、すぐに「大はしあたけの夕立」が思い浮かぶのは当然のことだった。  徳川幕府は隅田川を江戸の東側の防御線として千住大橋と両国橋だけしか架けなかった。しかし人口が増えるにつれ房総との交流が増し、いかになんでもということになって元禄6年(1693年)末にこの橋を作った。三つ目の大橋ということで「新大橋」と呼ばれ、千葉方面と都心の浜町とを直結する、人と物流の大動脈となった。  この橋の下流300m程の所に芭蕉庵があり、330年前、芭蕉は架橋工事を朝夕の散歩にわくわくしながら眺めていた。「初雪やかけかかりたる橋の上」と架橋途中を詠み、「ありがたやいただいて踏む橋の霜」と渡り初めの感激を詠んでいる。それからほぼ160年後、歌川広重はこの橋に大夕立を降らせ、その絵を見て大感激したゴッホは懸命に模写して自らの画業に役立てた。それから170年後のいま、不細工な鉄骨の新大橋にはビニー…

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勘違いと言い放つ君夏の果    向井 愉里

勘違いと言い放つ君夏の果    向井 愉里 『季のことば』  「夏の果」という季語の持つイメージが、さまざまな情景、ドラマを想起させ、印象に残る句である。夏の果は夏の終わりを意味する時候の季語。俳句の世界は旧暦なので、厳密には立秋(8月8日頃)の前、7月末から8月初旬ということになる。その頃は夏の盛りでなので、夏の果を詠む場合は、多少時期をはずれても、夏が終わる頃の風光や感慨が主題になる。水牛歳時記も「そのへんはまあ大目に見て、過ぎ行く夏のあれこれを詠めば良いのではなかろうか」と寛大である。歳時記には同類の季語として夏終る、夏逝く、夏惜しむなどがあり、その気分が分かる。  掲句はどういう状況か分からないが、相手に「勘違い」と言われた場面を詠む。「言い放つ」との表現から、相手の思いやりのない態度や言われたことへの怒りがにじむ。句会では「やっぱり、男と女の関係でしょう?」とか、「ボクのこと好きなんだろうって言ったら、勘違いよって言われた?」など憶測しきりだった。  作者のコメントによれば、そうした色恋沙汰ではないが、期待をしてた相手に、勘違いと言われた落胆、怒りにも似た感情を表現したかったという。現代人の夏は昔に比べずいぶん活動的である。海や山、さらには海外で遊び、さまざまな体験をする。その夏が終わることへの感慨もひときわ深くなる。勘違いと言い放った君と、言われた私の感情の行き違いに、読者はそれぞれの「夏の果」の感慨を重ね、ドラマを思い描く。季語の力を実感する句である。 (迷 24.…

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添書きの文字の細さよ夏見舞   加藤 明生

添書きの文字の細さよ夏見舞   加藤 明生 『合評会から』(日経俳句会) 双歩 添書きの文字が細い。何で細いのか、いろいろと想像されて、なんか物語がありそうだなと。 朗 夏場で疲れちゃったのかなあとか、歳とってあれなのかなあなど、いろいろ想像できそう。 水牛 添書きの文字の細さが、なんとなく夏で参っちゃいましたよ、というところを分からせる。そんな句になっていて、暑中見舞の葉書らしい。 百子 何と書いてあったのでしょうか。ご自分の体調でしょうか。相手を気遣う添書きでしょうか。何だか心配になりますね。 水馬 これだけ暑いと身も文字も細ります。           *       *       *  昨今、暑中見舞の葉書をやり取りしている人はどのくらいいるのか不明だが、多くはないと思われる。筆者も「書くことも来ることもなし暑中見舞い(阿猿)」状態だ。「偶に来る暑中見舞は業者から」と詠んでみたものの、川柳のようで出句しなかった。兼題の「暑中見舞」に、過去の記憶を辿ったり、あれこれ想像したりとみなさん苦労したようだ。  そんな中、「添書き」を詠んだ句が目立った。掲句もその一つ。内容よりも「文字が細い」ことが気になる暑中見舞だという。以前は、もっとしっかりしていたのか、細いだけではなく弱々しい筆致だったのか。高齢者の多い句会だけに、身につまされたようで、共感者が多かった。 (双 24.08.07.)

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書くことも来ることもなし暑中見舞 中嶋阿猿

書くことも来ることもなし暑中見舞 中嶋阿猿 『季のことば』  一年の時候の挨拶は年賀状と暑中見舞が世間の風習。最近は年賀状の差出し枚数が激減しているようで、正月の美習もすたれゆく気配だ。暑中見舞の風習はもともと年賀挨拶より控え目で、書状のやり取りも多くはない。暑中見舞は江戸時代から盛んになったらしい。もちろん室町・戦国期からその風はあった。織田信長らが贈り物で敵将の懐柔を図った例など枚挙にいとまがない。その後、武士社会は武断政治が衰えて文治派が実権を握るようになる。そうなると現代ビジネス社会同様、贈り物によって関係を円滑化しようとする。見舞いと称する贈り物は、田沼意次時代にピークを迎えた感がある。商人社会も武士社会より先にどっぷり浸かっていたと思える。  炎暑下、ふだん会えない人、お世話になっている人の健康を気遣うのが暑中見舞の本来。お互いに書状のやり取りや訪問をして無事を確認し合うのも本来の姿だ。その見舞状を「書くことも来ることもない」という作者。現役を退けば、以前の関係者とのつながりは途絶える。親兄弟や旧友との関係はなくならないが、これも当節はLINEの画像やメールで消息を確認しあっている。あえて手紙や葉書を書くこともない。この句はそんな現状を表現したものか、それもあろう。もう一つ句意にうかがえるのは、無職の人となれば暑中見舞など、もう無縁になったという一抹の寂しさだろう。年金生活者の筆者の胸に響いた句である。 (葉 24.08.05.)

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貝描く暑中見舞に海の音      篠田 朗

貝描く暑中見舞に海の音      篠田 朗 『合評会から』(日経俳句会) 双歩 きれいな句です。海の音はしないと思うんだけど、上手いこと詠んだなと思って頂きました。 迷哲 ちょっと乙女チックだなと思ったんですが、他は元気のない句が多く、涼しさを感じる明るい句だったので。 操 貝の絵柄や構図をいろいろ想像。読み手にも海の音が伝わる。 鷹洋 暑中見舞のはがきに海の音付き。楽しそうで頂きました。           *       *       *  高齢者の多い句会ということもあって、「暑中見舞」という兼題に寄せられた句には安否を問い問われる様子を詠んだものや、身の弱りをぼそぼそ述べた句が多かった。そうした中でこの句は皆が言うように、明るくて楽しそうなところがいい。  ヘタウマというのだろうか、画面からはみ出すように大きな貝殻が描かれている。おそらく甥とか姪とか若い後輩とか、とにかくこの暑中見舞葉書の差出人は作者が日頃可愛がっている若者だろう。背景の海と白波、青い空と白雲。乱暴といった方が良さそうな描き方だが、なんとも言えない味がある。  「これで涼味を感じ取ってください、と言われてもなあ」などと呟きながら「よし、今度ご馳走してやろう」などと相好を崩している。 (水 24.08.03.)

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大店の大きな暖簾半夏生     嵐田 双歩

大店の大きな暖簾半夏生     嵐田 双歩 『この一句』  「暖簾」は不思議な言葉である。多くの暖簾は、白や紺の地に、屋号、家紋、商品名などを染め抜き、道ゆく人々に店の存在を知らしめるとともに、塵除け、日除け、風除け、人目除けなど実用的な用途に使われているものである。一方で、「暖簾をあげる」「暖簾をたたむ」「暖簾をまもる」「暖簾にかけて」など、「暖簾」は商売すなわちビジネスの本質に関わるシンボリックな言葉として使われている。  会社員時代、事業の買収や売却に関わった際に、その会社の時価純資産額と買収額の差を「のれん代」と呼ぶことを知って驚いた。さしづめ「ブランド代」というところだろうか。誰がネーミングしたのか知らないが、うまく言うものだと感心した覚えがある。  この句を読んで、三越や虎屋あるいは京都の一保堂などの暖簾を想起した。いずれも、シンプルかつ粋なデザインに、力強さと朴訥さを兼ね備えた文字が描かれている。当然ながら、店先の大きな暖簾は風に揺れていて、夏の季語である「半夏生」と取り合わされることで、読み手に涼味を感じさせる句となっている。「大」の字を重ねて使った、「大店の大きな暖簾」という表現も、切れ味が良くとても効果的である。「半夏生」という梅雨時の季語ではなく、もっと夏の盛りの季語と取り合せた方が良かったのではないかという意見もあったが、創業何年を誇る大店の暖簾にはこの古風な季語が相応しいように思えた。 (可 24.08.01.)

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