四股ひとつ踏めぬ身となり蟾蜍 須藤 光迷
四股ひとつ踏めぬ身となり蟾蜍 須藤 光迷
『合評会から』(番町喜楽会)
水牛 水牛菜園は草茫茫です。ようやく雑草を抜いてできた空地で四股を踏みます。少し前までたやすくできたのに、よろけてしまい愕然としました。裏庭に長年住みつく蟾蜍と出くわし「お前とおんなじようになっちゃったよ」とつぶやいています。
てる夫 大相撲に満身創痍の力士が居ますな。蟾蜍とは、膝大怪我の力士みたい。引退、引退!
光迷(作者) 先日、肺癌の手術で九日間入院し、退院した翌日、ラジオ体操を始める前の筋肉をほぐす運動が四股でした。で、いつものようにと左足を上げたものの、ふらつき、きちんと立っておられず、筋力はこんなに簡単に衰えるものか、と感じました。蟾蜍のようにのそのそ動き回るしかないのか、と。
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年を取るとは情けないもの。去年のいまごろ出来たことが、わずか一年経っただけで出来なくなる。高齢世代がひとしく思う身のふがいなさである。脳の指令に反して、物がつかめない、立つとよろける。足を大きく上げるなどはとてもとても。それでなくとも術後の作者では無理もない。力士の立ち合いのような格好の蟾蜍になぞらえ自嘲する作者だが、哀感とともに「他人事ではないよ」と高齢者予備軍に警鐘を鳴らす句だ。
(葉 24.07.29.)