杖借りていざ初蝉の立石寺    徳永 木葉

杖借りていざ初蝉の立石寺    徳永 木葉 『この一句』  「蝉」の俳句といえば真っ先に芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」が浮かぶ。『おくのほそ道』の秀句として山口誓子は、この句をはじめ「荒海や佐渡によこたふ天川」、「五月雨を集めて早し最上川」の三句を挙げている。  芭蕉がこの句を詠んだのは山形市の宝珠山立石寺、通称「山寺」だ。崖のようにそびえ立つ岩山の上にへばりつくように本堂などが点在する。境内へは千段を超す石段を登らなければならない。途中には句碑とせみ塚があり、往時を偲ぶことが出来る。  掲句はもちろん、芭蕉の句を下敷きにしている。芭蕉が立石寺を詣でたのは、新暦でいえば7月半ば。随行記の『曽良旅日記』によれば、この日前後の天気は雨が降ったり晴れたりの繰り返しで、梅雨時だったと思われる。東北の山形辺りでは初蝉が鳴く頃だったかもしれない。  作者はかつて、俳句仲間との吟行で山寺を訪うた。「初夏の頃だったか、初めて立石寺にお詣りしました。想い出深い吟行でした」と、一緒に行ったてる夫さんはこの句を見て懐かしがる。  参道入り口で杖を借り、さあこれから約千段の石段を登り、芭蕉と同じように初蝉を聴こうではないか。「いざ」の二文字に作者の高揚感が凝縮されている。(双 24.07.31.)

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四股ひとつ踏めぬ身となり蟾蜍  須藤 光迷

四股ひとつ踏めぬ身となり蟾蜍  須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 水牛菜園は草茫茫です。ようやく雑草を抜いてできた空地で四股を踏みます。少し前までたやすくできたのに、よろけてしまい愕然としました。裏庭に長年住みつく蟾蜍と出くわし「お前とおんなじようになっちゃったよ」とつぶやいています。 てる夫 大相撲に満身創痍の力士が居ますな。蟾蜍とは、膝大怪我の力士みたい。引退、引退! 光迷(作者) 先日、肺癌の手術で九日間入院し、退院した翌日、ラジオ体操を始める前の筋肉をほぐす運動が四股でした。で、いつものようにと左足を上げたものの、ふらつき、きちんと立っておられず、筋力はこんなに簡単に衰えるものか、と感じました。蟾蜍のようにのそのそ動き回るしかないのか、と。           *       *       *  年を取るとは情けないもの。去年のいまごろ出来たことが、わずか一年経っただけで出来なくなる。高齢世代がひとしく思う身のふがいなさである。脳の指令に反して、物がつかめない、立つとよろける。足を大きく上げるなどはとてもとても。それでなくとも術後の作者では無理もない。力士の立ち合いのような格好の蟾蜍になぞらえ自嘲する作者だが、哀感とともに「他人事ではないよ」と高齢者予備軍に警鐘を鳴らす句だ。 (葉 24.07.29.)

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青田よこ半導体の無塵棟     深瀬 久敬

青田よこ半導体の無塵棟     深瀬 久敬 「この一句」  久々に三四郎句会から一句。  「へぇ、無塵棟ねぇ」とつぶやいてしばらく句を見つめた。青田の際に何だか訳の分からない、大きな建物が立っているというのだ。おそらく窓は一つもない、大きな建物で、外見は鈍い光を放つばかり。ビルと呼ぶには何とも愛想がない。  何らかの工場であることは間違いない。塵が浮いているようでは、不良製品が出来てしまう。製品を作る場には徹底的に「塵」は寄せ付けないのだ。近隣の人々の間では、建物に付随した、土地譲渡の件などが噂に上がっているという。  建設業界の人に“無塵棟”について尋ねてみた。「精密機器製造や半導体関係には必須です」。「しかし」と先方はとつぶやく。「問題はコンタミネーションですが・・・」「エッ?」と聞き返したら、「空気清浄度のこと」という答えが返ってきた。 (而 24.07.28.)

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ブレイキンなにそれ五輪夏のパリ 岩田 千虎

ブレイキンなにそれ五輪夏のパリ 岩田 千虎 『この一句』(酔吟会)  この日の席題は「五輪」。作者はその席題の出題者であり、「五輪待つ星に戦のやまぬ夏」という句も含め、この日の句会で高得点を連発した。当日初めてお題を知らされる参加者と異なり、出題者は十分な時間をかけて句作する特権が与えられるのだが、だからといって良い句が詠めるとは限らない。どちらの句も時事的な問題意識をこめた佳句である。  「ブレイキン」はパリ・オリンピックで初めて採用されたダンスの種目。もともとストリート・ダンスと呼ばれていたものが、競技種目になったものである。IOCが若者の機嫌をとるために採用したという向きもあるが、もともと新体操などが採用されたときも、あんなのは邪道だと体操ファンから声が出たのを思い出す。評判が良ければ残るし、悪ければ一回限りで終わるかもしれない。  この句の面白いのは「なにそれ」である。まさに、ブレイキンのことを初めて知った、高齢者の気持ちを代弁する一言である。作者は、その「なにそれ」の後に「五輪」をつなぎ合わせた。語順としては異例だろう。「なにそれ五輪」とは何だ、と思った読み手もいたに違いない。作者は「自句自解」で「今風の軽やかなリズム」にするために、この語順にしたと語っている。ラップ俳句とでも呼びたくなる、並々ならぬ技である。 (可 24.07.26.)

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初めての育休男子半夏生     星川 水兎

初めての育休男子半夏生     星川 水兎 『季のことば』  半夏生は二十四節気の各節気を三分した七十二候のひとつ。夏至の三候で、7月1日頃から小暑前日までの5日間にあたる。水牛歳時記によれば、半夏(カラスビシャク)というサトイモ科の薬草が生える頃なのでこう名付けられたという。  日本では梅雨の末期で、田植えがすっかり終わった頃になる。「農家が田植えという大仕事を終えて、ほっと一息つき、半夏生から五日間は休みを取る習慣が日本各地にあった」(水牛歳時記)。半夏生の雨には毒があるから外に出るなとか、野菜を取ってはいけないなどの諫めがあり、水牛氏は「仕事を休むことに負い目を感じないで済むよう生まれた言い伝えであろう」と考察している。  掲句はそんな歴史、風習を背景に持つ季語に、「育休男子」という極めて現代的な言葉を取合せ、清新な味わいを生んでいる。育児休業制度は子育て支援のために設けられたもので、母親だけでなく父親も1年間休業できる。しかし「子育ては女性の役割」という社会観念は根強く、母親の取得率が85%と高いのに対し、父親は13%にとどまる。最近は「イクメン」という言葉も登場するなど、男性の取得をいかに促すかが課題となっている。 上五の「初めての」は、育休を取る男性社員がいなかった職場で、初の取得者が出たという意味であろう。そこに農家の休みを促すという半夏生の風習を重ね、思い切って育休を取った男性社員に拍手を送っているのである。子育てに奮闘するパパに、頑張れと声をかけたくなった。 …

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夏や子の自立か無口始まりぬ   高井 百子

夏や子の自立か無口始まりぬ   高井 百子 『合評会から』(日経俳句会) 青水 破調の調べながら、推敲を重ねた工夫が生きていて、完成度が高い。思春期の子を持つ親が必ず通過するエピソード。夏という季語を上五に据え、時間経過を巧みに詠み込んでいて上手い。俳句というより短歌に近いイメージですが、本日一番と思うくらい気に入りました。 水牛 夏は子どもが活発になるのが普通ですが、急に何かむっつりしちゃって、いよいよ反抗期が始まったのか、という親の思いが出ている句だなと感心しました。加藤楸邨に「麦を踏む親子嘆きを異にせり」という句がありますが、この年頃の子の気持が親にはなかなか分からないし、親の思いを子は分からない。この句は夏と取り合わせたところが良いし、面白いですね。 三代 夏と子の自立、無口がなんとなく合っています。夏やの切れ字が効いていて句の調子もいい。 守 我が家もこうでした。子育て時代を思い出します。           *       *       *  昔も今も思春期から大学を卒業して社会に踏み出そうとする頃の子供は難しい。子供は自分の心のうちのもやもやをうまく言葉にできない。親はそれをなかなか汲み取ってやれない。ことに近頃のように世の中の変わりようが激しく、親の方は懸命に理解しようと努力してもなかなか追いつけない。子の悩みを聞いてやり、道筋を示してやれないもどかしさがある。 (水 24.07.23.)

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富士山に縦じま見えて夏来たる  野田 冷峰

富士山に縦じま見えて夏来たる  野田 冷峰 『季のことば』  「夏来る」は「立夏」の傍題で、5月初めの季語。今年は5月5日だった。「毒消し飲むやわが詩多産の夏来る(中村草田男)」、「おそるべき君等の乳房夏来る(西東三鬼)」、「プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ(石田波郷)」などなど、「夏来る」の名句は多い。「立春」と聞くと何となくホッとした気分になるが、「立夏」には海に山にと思いを馳せ、わくわく感が湧く。  作者は、俳号に「峰」の字を遣っていることでも分かるように、いわゆる〝山屋さん〟。最近は体調を崩されたこともあり、登攀からは遠ざかっていると聞くが、先年、上梓された句集『曙光のガレ場』には「露分けて南ア全山踏破せり」、「十津川のガレ場に誘う夏嶺かな」などの山を詠んだ句はもちろん、「子を連れて詫びたあの日の月夜かな」、「山茶花や妻在りし日も逝きし日も」などの人生の一コマを詠んだ佳句が満載だ。  掲句一読、爽やかでいかにも「夏来る」に相応しく、高点を得た。「さすが山を知り尽くしている冷峰さん、〝霊峰富士〟をよく観察している」と感じた。ただ、何度も読んでいる内に季語が気になってきた。富士山頂の雪が解け、残雪がまだらになって縦縞をなすのを見て、「ああ、いよいよ夏が来たなあ」との感慨は、心情的にはとてもよく分かるし、その通りだと思う。しかし、富士山に縦縞が見えるのはもう少し遅い時期なので、5月初めはまだ冠雪しているのではと感じ、句会ではそう指摘した。例えば、「夏旺ん」ではどうかとも付け加えた…

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何しとる死ぬの待っとる夏の雲  金田 青水

何しとる死ぬの待っとる夏の雲  金田 青水 『この一句』  「何しとる」との問いかけに「死ぬの待っとる」ととぼけた答えを返し、夏の雲を取合せる。何とも人を食った内容だが、番町喜楽会の6月例会で最高点を得た。この句会は20年の歴史があるが、ここ数年は新規加入者がなく、高齢化が進んでいる。平均年齢は70歳を大きく超えており、老いの感慨や人生の終着を見つめたような句が割と出てくる。  掲句もそのひとつだが、独特の語り口と季語の取合せの妙で、どこか明るさの漂う句となっている。まず「しとる」、「待っとる」という民話風のリフレインが、深刻さを和らげている。季語に夏の雲を持ってきたのは、時空を超える狙いであろう。入道雲の下で水遊びに興じた幼い頃から数十年を経て、今や終末を意識する作者。「死ぬの待っとる」と言いながら、生命力あふれる夏雲を取合せたところに、「まだまだ」という開き直りも感じられる。  句会では「~しとる」という語調について「わざとらしい方言で嫌味だ」との厳しい指摘があった。調べてみると「しとる(している)」は、東日本ではあまり耳にしないが、糸魚川から西の中部地方、近畿、中国、四国にかけて割と広く使われる方言のようだ。作者はその糸魚川の出身。故郷の方言をあえて織り込んだのは、幼き頃に見た夏雲を主人公にして、年老いた自分に「何しとる」と呼びかける寓話の世界に遊びたかったのではなかろうか。 (迷 24.07.19.)

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走るより速く耳かく梅雨の犬   星川 水兎

走るより速く耳かく梅雨の犬   星川 水兎 『合評会より』(日経俳句会) 双歩 確かに犬が耳をかく時、足をバタバタとやるので、よく観察している句だなと思って頂きました。ただ、耳をかく足のスピードが走るより速いというのは、比較対照の尺度が違うので、ちょっと無理があるなとは思いましたが……。 阿猿 雨の日に外に出られず、無聊をかこっているのは、犬より飼い主でしょう。 健史 場面のスピード感が伝わってきます。 静舟 犬は時々こんな動作をする。昔、犬小屋で鎖に繋がれていた土まみれの飼い犬を思い出した。 三薬 この句は、まさか犬が走るスピードと、足で耳をかくのとのスピード比較ではないよね。走らずに速く耳かく梅雨の犬でしょう。           *       *       *  「弾丸(たま)よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ跳び」。これは、昭和のテレビドラマ「スーパーマン」の冒頭の決め台詞だ。スーパーヒーローの図抜けた能力がよく分かる。ところで、掲句は「走るより速く」何をするのかと思えば「後ろ足で耳をかく」というのだ。移動するスピードと動作のスピードを比較するのは、「弾丸より速く空を飛ぶスーパーマン」と違って、さすがに無理がある。  むしろこの句は、雨続きで散歩の機会が減った「梅雨の犬」が主役なので、「所在なく足で耳かく梅雨の犬」辺りが妥当だろう。しかし、それではあまりにも平凡だ。理屈はおかしくても、作者が詠みたい情景は掲句で充分伝わる。突っ込み所が妙…

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消せば来る迷惑メール梅雨じめり 大澤 水牛

消せば来る迷惑メール梅雨じめり 大澤 水牛 『合評会から』(番町喜楽会) 愉里 「荒梅雨や次々届く詐欺メール」という句もありましたが、その荒梅雨とか詐欺に対し、こちらの梅雨じめりと迷惑の方が合っていると思い、頂きました。 迷哲 迷惑メールは消しても消しても毎日大量に届きます。その鬱陶しさが梅雨時の気分と重なり合い、同感しました。 百子 確かに迷惑メールが多いですね。梅雨じめりが効いてます。 水牛(作者) パソコンを開くつど、アマゾンだの三井住友FG、クロネコヤマト、国税庁などを名乗った、ものすごい量の迷惑メール。すべてゴミ箱に叩き込み、一時間後にメールを開くとまた…。むしむししたこの季節、憂さが一層募ります。中には「敬愛なるお得意様」といった変な日本語のがあって、そういうのは面白いけど(笑)           *       *       *  電子メールやインターネットは便利だけど邪魔臭い、と思っている人がたくさんいるだろう。まさに「便利と不便は裏表」で、最近はAIなるものが登場、それに拍車をかけそうだ。それにしても偽メールを放っておく業界と、それに歯止めをかけられない行政を見ると憂鬱さは募るばかりである。 (光 24.7.15.)

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