病窓に光のはねる五月かな 横井 定利
病窓に光のはねる五月かな 横井 定利
『この一句』
「病室の窓に当たる光がはねるようになってきた。ああ、五月だなあ」というこの句、「光のはねる」の措辞を賞賛する声が次々と上がった。「あまり見ない表現だけど、五月という季節がきらきら窓の外で輝いている」(迷哲)「いかにも五月です。病室にある人が見ている光の眩しさ、その喜びが心に迫る」(弥生)。「病院の暗さを跳ね飛ばしている」(三代)。「五月の陽光が窓から入って来る。退院も間近」(静舟)等々。
生老病死は人生そのものであり、俳句の重要なテーマの一つ。老いを自覚する高齢者が多い句会では、自らの来し方行く末を想い、五七五に託す作品が一定数ある。今回の句会でも以下のように揃い踏みだった。
「葉桜にわれ生まれをり幸あれと 池村実千代」(生)
「葉桜や老には老の矜恃あり 須藤光迷」(老)
「点滴の刻む命や五月闇 岡田鷹洋」(病)
「葉桜や父母兄弟みな逝きし 大沢反平」(死)
掲句は「病」の句だが、作者の気持は明るい五月の戸外へ向いていて、病気にまつわる暗さがない。静舟さんの言うように、退院が近いのかもしれない。深刻な話を明るく詠うのは難しいと思うが、この句は「五月」の季語がよく働いて爽やかだ。
(双 24.05.22.)