ただ歩く新緑の中まだ生きる 山口 斗詩子
ただ歩く新緑の中まだ生きる 山口 斗詩子
『合評会から』(番町喜楽会)
水牛 新緑の鮮やかさは高齢者にはちょっときつ過ぎるくらいで、柿若葉くらいの優しさがちょうどいいですね。それにしてもこの句は、私の心境を詠んでもらっているようで、とにかく、もう少し生きたいと思って私も毎日散歩しています。
愉里 私は「新緑や無為に過ごすと決める今日」という句を詠んだのですが、この句は、新緑に身を委せるみたいな、同じ心境を詠んだ句として共感していただきました。
二堂 新緑の中は、確かに生き生きとしていて、自分を含めて生きる喜びを感じさせてくれます。
水牛 (散文のようだ、の声に) たしかに、ぶつぶつ切れていて散文のようだが、それがかえってこの句の良さになっている。
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筆者も、最初にこの句を読んだ時に、俳句というよりは散文に近い句だという気がしたし、ぶつぶつ切れていることからやや武骨な句のように思った。しかし、再読してみて、最初に「ただ歩く」と詠み、それと対比させるように、最後に「まだ生きる」と詠んだことが、作者の「まだ生きる」ことへの切実さを、読み手にストレートに伝える効果をもたらしているように思えた。不思議な魅力のある句である。
(可 24.05.16.)