ただ歩く新緑の中まだ生きる  山口 斗詩子

ただ歩く新緑の中まだ生きる  山口 斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 新緑の鮮やかさは高齢者にはちょっときつ過ぎるくらいで、柿若葉くらいの優しさがちょうどいいですね。それにしてもこの句は、私の心境を詠んでもらっているようで、とにかく、もう少し生きたいと思って私も毎日散歩しています。 愉里 私は「新緑や無為に過ごすと決める今日」という句を詠んだのですが、この句は、新緑に身を委せるみたいな、同じ心境を詠んだ句として共感していただきました。 二堂 新緑の中は、確かに生き生きとしていて、自分を含めて生きる喜びを感じさせてくれます。 水牛 (散文のようだ、の声に) たしかに、ぶつぶつ切れていて散文のようだが、それがかえってこの句の良さになっている。           *       *       *  筆者も、最初にこの句を読んだ時に、俳句というよりは散文に近い句だという気がしたし、ぶつぶつ切れていることからやや武骨な句のように思った。しかし、再読してみて、最初に「ただ歩く」と詠み、それと対比させるように、最後に「まだ生きる」と詠んだことが、作者の「まだ生きる」ことへの切実さを、読み手にストレートに伝える効果をもたらしているように思えた。不思議な魅力のある句である。 (可 24.05.16.)

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