惜春や宵のカーテン閉めかねる 溝口 戸無広
惜春や宵のカーテン閉めかねる 溝口 戸無広
『この一句』
惜春(せきしゅん)とは過ぎゆく春を惜しむこと。春は厳しい冬が終わって温暖になり、様々な花が咲き揃う心弾む季節である。待ち望んだ春を謳歌した人々は、かけがえのない季節であるが故に、その終わりを愛惜する。「秋惜しむ」の季語もあるが、愛惜の念は春の方が深いように思われる。
掲句は行く春に「宵」という時間軸を加え、惜しむ気持ちを一段と募らせている。漢詩に「春宵一刻値千金」とあるように、おぼろに霞む春の夕景は、その変化を眺めていて飽きない。まして惜春の思いが重なれば、余情はどこまでも深くなる。
そうした感慨をカーテンに託して詠んだところが巧みである。晩春の一日、日が陰ってきたのでカーテンを閉めようかと窓際に寄ってみると、暮れ残る庭には、そこかしこに春の名残があった。カーテンを閉める手を思わず止めて、見入ったのであろう。行く春の風情をいつまでも眺めていたいという作者の思いが伝わって来る。
作者には昨年「月見草三線欲しき宵の口」という句があった。掲句もこの句も、宵という時間軸を加えることで、詠まれた情景がくっきりと浮かび、詩情が深まっている。
(迷 24.05.06.)