様変はる街に変はらぬ桜かな   久保田 操

様変はる街に変はらぬ桜かな   久保田 操 『合評会から』(日経俳句会) 朗 花の命は短くてなどと言いますが、それでも毎年変わらずに花を咲かせます。それに比べて、人の命や営みはもっと短くて儚いものですね。 青水 変はる街変はらぬ桜という、そういう工夫が好きです。最近のコロナ禍のことも考えると、久しぶりに訪れた桜の名所で老木も切られたりし、茶店も代替わりしてというような、そういう情景を心に描き、それでも変はらぬ桜という風にうたいあげたのだと思いました。 卓也 儚さの象徴のような桜を、移ろいやすい景観とくらべて物差しを転換させたのがお見事。 明生 目まぐるしく変わる最近の街の景色、それに対して毎年ほぼ同じころに咲く桜。現代の都会の様子を的確にとらえた句だと思います。           *       *       *  「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」(ねんねんさいさいはなあいにたり さいさいねんねんひとおなじからず)と詠んだのは唐時代の詩人劉希夷。これは中大兄皇子(後の天智天皇)が唐からの輸入知識を基に「漏刻」という水時計を作り時刻というものを初めて知った斉明6年(660年)頃に詠まれた詩である。気の遠くなるような大昔だ。人間、1400年前も今も、同じようなことを考えているようだ。  その間様変わりしたのは住環境である。「都市開発」という名のもとに、掘ったり積み上げたりまた崩したりして、結局のところ地球という掛替えのない星をめちゃめちゃにしてしまった。桜はそれをだまって…

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