快癒得て野に出で来れば惜春   高井 百子

快癒得て野に出で来れば惜春   高井 百子 『季のことば』  季語「春惜しむ(惜春)」について、最近出版された『角川俳句大歳時記』に面白い解説があった。一部を引くと、「『惜しむ』という心情が成り立つには次の条件が要る。①よきものであること。②やがて失われること。③失われることを知っていること。④知っていながら愛すること。これにかなうのは、まず花、月。季節では春と秋。過ごしにくい夏と冬は「惜しむ」とはいわない。(長谷川櫂)」。当サイトの『水牛歳時記』で補足すると「日本人は昔から春と秋が大好きで、その季節の移ろいに対する思いを詩歌に託してきた。(中略)『春惜しむ』は『行く春』と極めて似通った情感を込めた言葉である」という。「夏めく」などの「めく」は春夏秋冬四季折々に遣えるが、詠嘆を込めて季節を「惜しむ」のは春と秋にこそ相応しい。  掲句の「快癒」とは広辞苑によると、「病気やけががすっかりよくなること。全快。」とある。聞けば、作者の夫君が最近、歩くのも難儀なほど体調を崩し、総合病院であれこれ検査を受けたという。可能性のある病名をいろいろ聞かされ、気を揉んだようだが、検査結果は「特に問題はなし、加齢の影響の域を出ない」だったとか。医師からの「禁酒」の〝託宣〟は解けなかったようだが、何はともあれ一安心。結果が出るまでヤキモキして、日課の散策もままならなかったが、「快癒」のお墨付きをもらい気分良く戸外に出てみれば、いつの間にやら春が終わろうとしていた。「惜春」の漢語表現が心情をよく現している。 …

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