ただ歩く新緑の中まだ生きる  山口 斗詩子

ただ歩く新緑の中まだ生きる  山口 斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 新緑の鮮やかさは高齢者にはちょっときつ過ぎるくらいで、柿若葉くらいの優しさがちょうどいいですね。それにしてもこの句は、私の心境を詠んでもらっているようで、とにかく、もう少し生きたいと思って私も毎日散歩しています。 愉里 私は「新緑や無為に過ごすと決める今日」という句を詠んだのですが、この句は、新緑に身を委せるみたいな、同じ心境を詠んだ句として共感していただきました。 二堂 新緑の中は、確かに生き生きとしていて、自分を含めて生きる喜びを感じさせてくれます。 水牛 (散文のようだ、の声に) たしかに、ぶつぶつ切れていて散文のようだが、それがかえってこの句の良さになっている。           *       *       *  筆者も、最初にこの句を読んだ時に、俳句というよりは散文に近い句だという気がしたし、ぶつぶつ切れていることからやや武骨な句のように思った。しかし、再読してみて、最初に「ただ歩く」と詠み、それと対比させるように、最後に「まだ生きる」と詠んだことが、作者の「まだ生きる」ことへの切実さを、読み手にストレートに伝える効果をもたらしているように思えた。不思議な魅力のある句である。 (可 24.05.16.)

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母の日や母でも子でもあり多忙  向井 愉里

母の日や母でも子でもあり多忙  向井 愉里 『季のことば』  5月第2日曜日(今年は12日)は「母の日」。創設者は米国の社会活動家アンナ・ジャービスという女性だ。彼女は、Britannicaによると、同じく社会活動家の母、アン・ジャービスが日曜学校で「いつか誰かが母の日を制定してくれることを祈っていた」のを聞いていて、母の死後、命日に当たる5月第2日曜日を母親を讃える祝日にするための運動を始めた。この運動はやがて全州に広がり、2014年に時の大統領ウッドロー・ウィルソンが母の日を国民の祝日にしたという。  アンナ・ジャービスは13人兄弟の10番目だが、成人まで生き残った兄弟は4人だけだったとか。また、後年になって母の日が商業主義に流されてゆくことへの懸念から、祝日の法制中止を求めるようになったりと、波瀾万丈の人生だったようだ。実録や伝記が好きなハリウッドが南北戦争を背景に、いずれ映画化しそうなキャラクターだ。  話を掲句に戻そう。作者は二児の母。実家では米寿を迎える母が健在だ。句意は明瞭で、母に感謝の意を表し、子供からは祝福されるという二通りの役割に「あたふた」といったところか。下五の「あり多忙」の収束が、ぶっきらぼうでいて、自らをおどけて見せている。類想はありそうだが、詠み方が心地よく、句会では断トツの一番人気だった。 (双 24.05.15.)

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雨戸繰る音も軽やか夏来る    嵐田 双歩

雨戸繰る音も軽やか夏来る    嵐田 双歩 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 木の雨戸だと思うのですが、最近はこういう雨戸の家が少なくなりました。サッシやシャッターにはこの感じはないですよね。 青水 類句もありそうですが、きわめてオーソドックスで気品にあふれたいい俳句だと思っていただきました。雑詠句の中で一番の句です。 可升 僕はアルミサッシの雨戸をイメージしました。いつもはぎこちないのに、今日はさっと開いて、開けば夏の爽やかな朝だった。こういう日常のひとこまの中の発見を詠むのは好感が持てます。 幻水 マンション生活が長いので、そもそも雨戸がぴんと来ません。若い人もそうでしょう。 誰か そうか、一戸建住人専用の句か(笑)。           *       *       *  「雨戸繰る」という言葉が“懐かしい”と言われる時代になってしまった。それは別に良くも悪くもないことで、住宅建築様式の変遷に過ぎない。ただ、「雨戸開け当番」を兄弟で決めて、番に当たった日は早起きしてガラガラと雨戸を開けて朝一番の空気を吸って胸をそらす。それが実にいい気持だった。その心地良さを味わえない今時の子供は可哀想だな、などということをこの句を見て思った。しかしそれも八十路の繰り言。「何言ってんの、ぜんぜんワカンナーイ」と、スイッチ一押しで電動シャッターを上げる孫娘に笑われてしまう。 (水 24.05.13.)

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蜃気楼まがひの世なり愉しまん  金田 青水

蜃気楼まがひの世なり愉しまん  金田 青水 『この一句』  蜃気楼といえば、富山湾が有名だ。とりわけ魚津が出現の頻度が高い所とされる。立山連峰などからの雪解け水が注ぎ、海面と大気の温度差によって太陽光線が屈折、海上はるかに街や船などが幻視されるからだ。蜃気楼とは面白い言葉だが、元を辿れば「大蛤が気を吐いて築いた楼閣のこと」とか。砂漠に現れる幻のオアシスも蜃気楼のひとつだと。  どんなに追い駆けても手に取れない蜃気楼…。作者はこの世の中を、その蜃気楼まがいだと規定する。だったら、どうするのか。厭うのではなく、むしろ愉しもうというのだ。「人間五十年、下天の内にくらぶれば、夢幻の如くなり」という一節が頭に浮かんだが、まがいの世を楽しもうという姿勢には意表を突かれるとともに頷けるものがあった。  いまや人生は五十年どころか百年の時代。古希は何ら稀なものでなく、喜寿や傘寿も通過点のようだ。一方、政治や経済をみれば、実よりも虚というか、まがいもの横行の感が深い。最近急速に力を増しているAIなるものが、そこに拍車をかける可能性は極めて高い。世の中は蜃気楼まがいという見方が、一段と真に迫ってくる。 (光 24.05.12.)

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絶壁を穿ちて紅き山躑躅     岩田 三代

絶壁を穿ちて紅き山躑躅     岩田 三代 『合評会から』(日経俳句会) 朗 目前の躑躅を詠んだ句が多い中で、遠景の句を選んだ。孤高の躑躅の凛とした感じが好きです。 青水 山に咲いているつつじの鮮やかな感じ、絶壁という言葉を配したところがいいと思います。 芳之 組み合わせの妙です。茶色の絶壁に鮮やかな躑躅が映えます。 健史 赤い躑躅の鮮烈な姿が浮かびます。 卓也 穿ちてという言葉が効いている。 水馬 穿つは好き嫌いが分かれる表現かも。私は良しとします。 三薬 山躑躅は真っ赤というよりは紫色の方が強く、やや淡く私には感じられるので、この句にはちょっと添いかねます。             *       *       *  深山の断崖のくぼみに躑躅が自生し、紅い花を付けている。それを「穿つ」と表現したところが句の眼目である。そそり立つ黒褐色の岩場に咲く躑躅は、下から見ればまるで断崖に穴を空けて、群生した花が突き出ているように見えるのではなかろうか。擬人化表現だが、思いがけない場所で躑躅を見つけた驚きが伝わり、違和感を覚えない。  三薬氏の指摘では山躑躅は紅紫色のイメージが強いようだが、朱赤色の種類も多い。山躑躅で画像検索をすると紅一色に染まる山も現れる。何よりも真っ赤な躑躅であったがゆえに、作者は絶壁を穿つほどの生命力を感じたのであろう。 (迷 24.05.10.)

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徴兵の無き国を生き鯉幟     須藤 光迷

徴兵の無き国を生き鯉幟     須藤 光迷 『この一句』  徴兵制とは国が国民に対し、法に基づき兵役の義務を課す制度。日本では明治政府が徴兵令を施行して以来、太平洋戦争終結の1945年まで70有余年、国による徴兵が行われていた。世界に目を向けると、60カ国以上が徴兵制を敷いているという。また、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、徴兵制復活や兵役対象を女性にも拡大するなどの動きが、ヨーロッパの国などでみられるそうだ。  イスラエルとハマスの争いにしても、ウクライナの惨状にしても戦争の犠牲者は常に一般市民、特に子供たちだ。  5月5日は子供の日。鯉幟は、端午の節句に男の子の健やかな成長と立身出世を願い、竿に立てる飾りだ。鯉は「登竜門」の来歴となった中国は黄河の竜門を登り切った鯉が竜になったという故事に基づく。親は子の幸多き行く末を願い、5月の空に鯉を泳がせる。  掲句は、徴兵制がない国に生を受けたありがたさを、そうと言わずに季語「鯉幟」に託し、「子供たちの将来を思う句になった」と多くの共感を得た。時事句は、ややもするとスローガンのようになったり、声高になったりと、詩として昇華しにくい側面がある。この句はその点、「徴兵の無き国を生き」とだけ言い切って、変に価値観を読者に押しつけてないのが魅力だ。その想いは下五「鯉幟」がしっかりと受け止めてくれている。時事句を得意とする作者の面目躍如たる作品だ。 (双 24.05.09.)

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小座敷に残り香ゆかし桜餅    中沢 豆乳

小座敷に残り香ゆかし桜餅    中沢 豆乳 『合評会から』(日経俳句会) 二堂 桜餅を食べるというようなことは言わないで、残り香が漂っているということで句を作った。上手いなと思いました。 枕流 前にいた人が食べた桜餅の残り香で春を感じる、風流を覚えました。 静舟 女子会でもあったのか? 桜の葉で包んだ桜餅を食べた余韻が残って、もう春も終わりね、という感じである。 健史 奥ゆかしい言葉の連鎖が絶妙です。 迷哲 ゆかしではなく、ほのかとか、価値観が入らない言葉の方が良かった。 双歩 残り香だけで十分にゆかしいので、ゆかしとしない方が確かにいいと思います。           *       *       *  桜餅の香りはとても強くて、あたりに漂う。それがちっとも嫌ではなくて、甘党でなくとも食べてみたくなる、何ともそそられる香りである。そもそも桜餅なるもの、大した餅菓子ではない。小麦粉に桜色の染粉を入れて溶いて焼いた薄焼きで餡子を巻き、塩漬けの桜葉でくるんだだけのもので、もともと隅田川土手の花見客相手の安直な葦簀張の餡餅だった。しかし、甘い餡を塩漬けの桜葉で包むというアイデアが抜群で「銘菓」となった。くるむ葉は香りの良い大島桜の葉で、じっくり一年かけて塩漬け熟成したものを用いたのも成功の基だった。  この句について、「ゆかし」とまで言わない方が良かったという句評が多かった。同感だが、作者の思わずそう言いたくなる心情も可としたい気分になる。 (水 24.05.07.)

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惜春や宵のカーテン閉めかねる 溝口 戸無広

惜春や宵のカーテン閉めかねる 溝口 戸無広 『この一句』  惜春(せきしゅん)とは過ぎゆく春を惜しむこと。春は厳しい冬が終わって温暖になり、様々な花が咲き揃う心弾む季節である。待ち望んだ春を謳歌した人々は、かけがえのない季節であるが故に、その終わりを愛惜する。「秋惜しむ」の季語もあるが、愛惜の念は春の方が深いように思われる。  掲句は行く春に「宵」という時間軸を加え、惜しむ気持ちを一段と募らせている。漢詩に「春宵一刻値千金」とあるように、おぼろに霞む春の夕景は、その変化を眺めていて飽きない。まして惜春の思いが重なれば、余情はどこまでも深くなる。  そうした感慨をカーテンに託して詠んだところが巧みである。晩春の一日、日が陰ってきたのでカーテンを閉めようかと窓際に寄ってみると、暮れ残る庭には、そこかしこに春の名残があった。カーテンを閉める手を思わず止めて、見入ったのであろう。行く春の風情をいつまでも眺めていたいという作者の思いが伝わって来る。  作者には昨年「月見草三線欲しき宵の口」という句があった。掲句もこの句も、宵という時間軸を加えることで、詠まれた情景がくっきりと浮かび、詩情が深まっている。 (迷 24.05.06.)

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様変はる街に変はらぬ桜かな   久保田 操

様変はる街に変はらぬ桜かな   久保田 操 『合評会から』(日経俳句会) 朗 花の命は短くてなどと言いますが、それでも毎年変わらずに花を咲かせます。それに比べて、人の命や営みはもっと短くて儚いものですね。 青水 変はる街変はらぬ桜という、そういう工夫が好きです。最近のコロナ禍のことも考えると、久しぶりに訪れた桜の名所で老木も切られたりし、茶店も代替わりしてというような、そういう情景を心に描き、それでも変はらぬ桜という風にうたいあげたのだと思いました。 卓也 儚さの象徴のような桜を、移ろいやすい景観とくらべて物差しを転換させたのがお見事。 明生 目まぐるしく変わる最近の街の景色、それに対して毎年ほぼ同じころに咲く桜。現代の都会の様子を的確にとらえた句だと思います。           *       *       *  「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」(ねんねんさいさいはなあいにたり さいさいねんねんひとおなじからず)と詠んだのは唐時代の詩人劉希夷。これは中大兄皇子(後の天智天皇)が唐からの輸入知識を基に「漏刻」という水時計を作り時刻というものを初めて知った斉明6年(660年)頃に詠まれた詩である。気の遠くなるような大昔だ。人間、1400年前も今も、同じようなことを考えているようだ。  その間様変わりしたのは住環境である。「都市開発」という名のもとに、掘ったり積み上げたりまた崩したりして、結局のところ地球という掛替えのない星をめちゃめちゃにしてしまった。桜はそれをだまって…

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ひび割れし棚田潤す穀雨あり   中村 迷哲

ひび割れし棚田潤す穀雨あり   中村 迷哲 『この一句』  この句を読んで真っ先に目に浮かんだのは、能登の白米千枚田だった。丘の上から日本海へ一気になだれ落ちる形の棚田である。初夏には水を湛えた田に稲が植えられ、青空を映している所もあった。仲秋には黄金色の稲穂が頭を垂れていた。冬には行きそびれたが、棚田にはイルミネーションがなされ、幻想的な光景だったという。  その、ある意味で日本の原風景ともいえる棚田が、地震で破壊されてしまった。句会では「穀雨という季語がぴったりはまって素晴らしい」という声に対し、作者は「白米の千枚田は、地震でめちゃくちゃ大きくひび割れ、復旧もなかなか手がつかなかったのが、やっと復旧が始まったとテレビで…」と、句作の背景を説明していた。  インドネシアではウブド―の、タイではチェンマイの棚田を見て来た。しかし、それらの美しさはいつまで保たれるのだろうか。世界各地で災害が頻発しているからだ。先日も台湾の花蓮で地震があった。豪雨や旱魃も後を絶たない。一方、地球温暖化に歯止めがかかる気配はない。大地震も火山の爆発も地球が本気で怒っていることの証ではないのか。 (光 24.05.03.)

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