燕来て街はちょっぴり元気づく 大澤 水牛
燕来て街はちょっぴり元気づく 大澤 水牛
『季のことば』
この句の作者、水牛さんの季語解説によると「燕は春から秋まで日本列島にずっといるのだが、その飛来時の新鮮かつ颯爽たる様子がいかにも春を運んで来たように感じられるところから『春』のものとされるようになった。特に三月、初めて飛んで来た燕を『燕来る』とか『初燕』と言い、古くから俳人の好む句材になった」という。人家などに営巣し、子育てをする。姿形はスマートで可憐、害虫を食べてくれる益鳥でもある。つまり季語「燕」の本意は「市街地や町中に飛来し、人々に春の喜びを届けてくれる幸せの鳥」とでも言えるのではないか。掲句は、その本意を正しく読者に伝えてくれる。
一読、この「街」は能登地震で被災した街並ではないかと解した。風光明媚で素晴らしかった能登の景観が、一瞬にして瓦解してしまった。その町空に燕が飛んで来た。「あ、燕だ!」。日常の何もかもが奪われ、避難所で生活せざるを得ない人たちの頭上を颯爽と飛び回る。春が来たことを燕によって実感し、ちょっとだけ気持が和む。そんなイメージが脳裏に浮かんだ。
果たして作者は、被災地を想って詠んだという。ストレートな言葉を遣わずに婉曲表現でエールを送る。東日本大震災の時もそうだったが、ものが言えない俳句という短詩型は、あまりにも大きな出来事を扱うのは難しい。「ちょっぴり」しか言ってない掲句だからこそ、しっかり伝わることもあるのではないか。そう思わせる一句だ。
(双 24.04.13.)