啓蟄や出刃研ぐ水の光をり 廣田 可升
啓蟄や出刃研ぐ水の光をり 廣田 可升
『この一句』
季語「啓蟄」には森羅万象なんでも合いそうな気がする。虫の這い出しを詠むのは無論本筋だし、身の回りのこと天然自然のこと、いずれも句意との相性を阻害するものではないと考える。そんななか作者は出刃包丁を研ぐ水の様を詠んだ。なんでも合うと言いながら「出刃」と「水の光り」が出て来たのには、ちょっと驚いた。
折しも筆者は鮟鱇の吊るし切りの画像を観たばかり。神田の老舗「いせ源」の調理場光景である。ついでに言えば鰻や河豚に鮪、和牛などの解体調理もユーチューブにアップされており、いつも興味をそそられる。この句を見たとき、出刃包丁で何を捌くつもりなのか句意とは離れた点に関心が移ってしまった。出刃を使うのだから魚には違いない。その出刃を一心に研いでいるのは作者自身か職人か。寒暖の定まらぬ今日このごろだ。砥石に呉れてやる水はまだ冷たいだろう。出刃を研ぐシュシュという音とともに、砥石から滲み出す水がLED灯の下で光る景が浮かび上がった。水の光るのはほんの瞬時のことかもしれないが、この時季の冷気と出刃を研ぐ真剣さを表わしていると思えてこの句を選んだ。
季語「啓蟄」は、春がそこまで来たとはいいながら、水の冷たさは冬とさほど変わりはないという例証として使われたとみたい。いずれにしても、出刃の登場と光る水で緊張感ある一句となっている。
(葉 24.03.10.)