舟唄を鼻歌交じり目刺焼く 篠田 朗
舟唄を鼻歌交じり目刺焼く 篠田 朗
『この一句』
昭和も三十年代ころまで、朝飯には目刺がよく食卓に上った。いま考えても決して上等なおかずではなかった。大ぶり鰯の塩焼きなら夕飯の菜にもなった。十センチほどにすぎない目刺は、三本食べても食べ応えなかったが、庶民の家計の味方だったと思える。目刺のおかずで反射的に思い起こすのは、昭和の臨調を取り仕切った土光さんの食卓だ。国民は財界巨頭のあまりの清貧ぶりに感心したものだが、実は高級品だったとは後で知ったしだい。
おなじみのことは置いて、目刺=庶民の図式が成り立つ。今日日、スーパーでは見かけるものの、町の魚屋ではほとんど見かけない。美食が高じて買い手があまりいないのか、はたまた利が薄いせいか。
句の作者は鼻歌まじりに目刺を焼いている。晩酌のつまみにしようとしているのか、女房に任せず亭主みずから手を出している。きっと焼き具合にこだわりがあるに違いない。さっと炙って焦げ過ぎず歯ごたえよく。鼻歌は八代亜紀の「舟唄」だ。さきごろ亡くなったばかり、演歌の女王の代表曲だから句としてもタイムリーだ。そしてそれがまた昭和感丸出しだ。昭和の「目刺」に昭和の「演歌」の付け合わせに場面がまざまざと浮かぶ。「♪お酒はぬるめの燗がいい~肴は炙った目刺でいい~」。その夜、晩酌の酔い心地はさぞかし格別だったろう。
(葉 24.03.07.)