八十年前も焼いてた目刺かな 大澤 水牛
八十年前も焼いてた目刺かな 大澤 水牛
『この一句』
「八十年も前とは!」。俳句を知らない人が、この句を見たらハテナと考え込み、「目刺は江戸時代、いや、それよりずっと前から焼いていたはずだよねぇ」などと呟く人が、ひょっとしたら居るかも知れない。しかしこれは俳句作品。俳句をやっている人なら誰もが、例えば庭に七輪を置き、団扇をパタパタやっている八十年前の少年の姿を思い描くはずだ。
俳句は「五七五」の十七字という小世界ながら、顕微鏡クラスの世界から無限大の世界までを描き上げる。この変わった文芸の持つ“省略”の面白さを、掲句から感じ取って頂きたい。作者は横浜の高台に広がる大地主の家に生まれ育ち、現在も、その一部(と言っても、我々には広大な土地だが)に住み、野菜作りを趣味としているのだ。
しかし私は「八十年も前とは!」に、びっくりする。実は私も作者と同年生まれの、現在八十歳代半ば。当時は国民学校の一年生になっていたか、どうか。あの頃から第二次大戦の空襲が激しくなり、私の一家は埼玉県に疎開して・・・、という頃だ。水牛さん、貴方は戦時中、どうしていたの? 空襲はあった? なかった? そんなことをお尋ねしてみたい。
(恂 24.03.05.)